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≪会員寄稿≫
淡路島観光記〜八浄寺と伊弉諾神宮を拝して〜

顧問 上島康男(昭33法)

 淡路島には国立淡路島七福の里に、八浄寺に大黒天(インド、戝福、食物の神様)、宝生寺に寿老人(中国、長寿の神)、覚住寺に毘沙門天(インド、勇気の神)、万福寺に恵美酒大神(日本、律儀の神)、護国寺に布袋尊(中国、和合の神)、長林寺に福禄寿(中国、大望の神)、智禅寺に弁財天(インド、知恵の神)があります。

 前述の如く、七福神は発生の異なる国の神々様ですが、一つの船に乗り、それぞれのお役目を分担し、人間を幸せにしてくださる有難い神様方であり、淡路島を一艘の船に見立て、この七福神巡りのコースが設けられています。

 この度、淡路島七福神霊場総本院の八浄寺に大黒天様のお詣りと、兵庫県で唯一の神宮である伊弉諾神宮へ参拝することとなり、淡路島を訪れました。

 スムーズに明石海峡大橋を渡り東海インターに出て、海岸沿いの一般道路を走ると、高速道路とは異なる風光明媚な海岸他の景色を眺めることができ、穏やかな気分に浸りながら、一つ目の訪問先である八浄寺に到着しました。

 山門を入ると、黄金の相輪が美しく輝く大塔や、大師堂、七福神の福水手洗い等を横目に見ながら本堂へ向かい、一番奥(正面に向かって左側)に鎮座されている2m大の極彩色美しい甲子大黒天像(大きな袋を肩にかけ、打出の小槌を持たれている)の前に座り、大木裕史僧正様から、弁説豊かなご説法を拝聴しました。

 その中で、甲子大黒天の由来や(一千年に一回と云う、甲子の年の甲子の月の甲子の日の甲子の刻である昭和五十九年一月二十六日午前零時に開眼入魂を行われたので、甲子大黒天と称されている)、秘仏開運大黒天は不動明王の霊示により現形された類も見ないご尊像であること(一般のイメージとは全く異なる観音様のようなお姿で、全国でこの寺のみとのこと)をお伺いし、大きな大黒天像の奥にある古びた廟の中に納められているとのことでしたが、ご開帳日が決められていて、拝観はできませんでした。

 外に出ると、きらびやかな高野山の真言秘教の最高宝塔の瑜祇塔と同形の大日如来と、七福神を祀る大きな瑜祇七福塔があり、このお寺のご住職が考案された多くの仕掛け(採光の仕方等)があるとのことでしたが、拝観する余裕がなく、後ろ髪を引かれる思いで、伊弉諾神宮に向け出発しました。

 途中、洲本の海岸を走っていると岸壁に大きな海上風力発電機が見えてきました。七月二日の新聞で、この発電機は日本初の海上風力発電機の実験機(高さ150m)の三台目で、東北に海上輸送されると云う記事を読み、偶然にせよ、日本初の実験機が見られたことも良い思い出になりました。

 さて、伊弉諾神宮ですが、ご祭神は伊弉諾尊と伊弉冉尊の二柱です。日本の神話はご存知かと思いますが、少し触れてみますと、古事記の早々に書かれているのが、伊弉冉尊が天の浮橋より「鉾」で海をくるくる混ぜられると、その鉾の先から海水がしたたり落ち、塩の島ができたので、伊弉諾尊と伊弉冉尊とがご降臨され、夫婦の契りを結ばれ、国生み(大八島続いて六島)をされ、最初に生まれたのが淡路島とされています。国生みを終えると、神生み(三十五柱の神)をされました。

 しかし、伊弉冉尊は、火の神をお生みになった時の火傷で亡くなられました。伊弉冉尊を慕われていた伊弉諾尊は、黄泉の国まで会いに行かれましたが、願いは叶わず、黄泉の国からお戻りになり、穢れた身を清められる際に多くの神々をお生みになりました。最後に顔をすすがれたところ、左の目を洗われた時に天照大御神が、右の目を洗われた時に月読尊が、鼻を洗われた時に素戔男尊が生まれました。

 そして、伊弉諾尊は国生み神生み全ての神功を果たされ、地上の国家統治を御子神の天照大御神に移譲され、ご自身は最初に生まれた淡路島の多賀の地に幽宮を構えて余生を過ごされ、その御住居跡に濠で囲まれた小さな円形の御陵が築かれ、その聖地に最古の神社が創始されたのが、伊弉諾神宮の起源とされています。

 神宮の大鳥居をくぐると、国歌の歌詞にある大きな「さざれ石」が設置されていました。長い参道を歩き、二の鳥居をくぐると、濠の跡が一部放生神池として保存されていて、その池に架かっていた橋を渡り、表神門をくぐり、禰宜様のご案内でいよいよ拝殿へ、東側の階段を上ると、拝殿は畳敷きの大広間が東西に、中央には板間の舞殿がありました。
奉賀帳に記帳後、禰宜様の祝詞奏上に続いて御幣でお祓いを受け、お二人の巫女様の神楽の舞を拝観した後、幸いにも神前に玉串の奉典が許され、拝殿の北側から階段を降り、約10m北の神殿で拝礼させていただきました。

 その後、本名孝至宮司様がご挨拶にお出ましくださり、伊弉諾神宮の由縁等を詳しくご説明いただきました。当初、祭神は伊弉諾尊一柱を祀っていたが、昭和七年に国生み、神生みの神は伊弉諾尊と伊弉冉尊の二柱であったとし、二柱を祭神とされるようになったとのことです。「伊弉冉尊は亡くなられて黄泉の国に行かれたのに、どうしてこの神宮に祀られているのか」と疑問でしたが、ご説明を承り納得した次第です。また、当初は単なる地方の神社で、その後呼称や格式は変わりましたが、昭和二十九年に「神宮」の称号が与えられ、兵庫県下で唯一の神宮になったとのことでした。

 そして、元々は小さいが円形陵があり、その前に神殿があったのですが、明治十五年に陵を削りとり、その上に現在の神殿が構造され、神殿の中の陵があった跡に太い神柱が建てられていて、結婚式で新郎新婦が一周すると夫婦円満の幸せが与えられるとのことでした。私もこの柱は玉串奉典の際、目の前で拝見しましたが、神殿の中に太い柱があるのは初めてでした。また、この伊弉諾神宮の位置は、伊勢神宮の真西にあり、御子神である天照大御神を東の太陽神とされ、伊弉冉尊は御親神ですが、西の月神とされているとのことでした。

 退席の際に、他の方々はお神酒を召し上がっていましたが、私がお酒を飲めないことを伝えると、そのお酒をしぼった酒粕で作った飴をいただきました。これも初めてのことで驚き、尋ねますと、お車でいらっしゃる方が多いので、少し前からお配りしているとのことで、時代の変化に感銘を受けた次第でした。

 帰り道は、売店の中を通り抜けるとバスの駐車場へ直接行くことができ、短路で助かりました。