2003年 会員の輪

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矢形 幸之助 会員 木村 裕史 会員
島田博充 会員 樫根みづえ 会員
渡辺 義博 会員 西出 晶子 会員
坊垣 嘉寿也 会員 安井 明子 会員
紀伊国谷隆 会員 井垣誠一郎 会員
上村達雄 会員 横田洋子 会員
玉田和子 会員 間森 坦 会員
村田修一 会員 田崎和代 会員
高島知司 会員 青戸統子 会員
松尾茂生 会員 長岡多摩 会員
朝藤 洋 会員 廣川まもり 会員
辰野芳之 会員 塚本明久 会員

矢形 幸之助(平3法)

島田博充会員より

木村 裕史(昭62商)

樫根みづえ会員より

≪初めまして!≫

神戸中央法律事務所におきまして弁護士として、
ここ神戸で第一歩を踏み出させて頂くことになりました。

私は神戸で生まれ、中学卒業までここで育ちましたが、その後、慶應志木高を始め長らく関東におりましたので、神戸のこともよく分からず懐かしさと同時に、全く知らない土地に来たような不思議な気持ちです。
まだまだ事件の管理・時間の管理もままならず、今日も1人、事務所に残って自己紹介文を書いています。

私の趣味というと、ダイビングでしょうか。
まだ、始めたばかりですがOPEN WATERのライセンスも取りました。
もっとも,休みを取って海外でというのは遙か先のことになりそうですが・・・。

そうそう、ゴルフも始めました。去年の冬に初めてコースに出たときは、144というスコアーでしたが、いいのか悪いのか?全く分かりません。といっても、それ以来やっていませんので始めましたというのもおかしいですね。
あーもうこんな時間ですね。

これから先は、諸先輩方とお会いさせて頂いた時に宜しくお願い致します。
今後とも,宜しくご指導のほどお願い申し上げます。

≪新入会員です≫

私は、今回神戸慶應倶楽部に入会させていただくことになりました。

私は昭和62年に商学部を卒業後、野村證券投資信託(現アセットマネージメント)、米国モルガンスタンレー社、モルガンスタンレー・ジャパンでの勤務を経て、この度、兵庫県弁護士会において弁護士登録をするに至った次第であります。

この間、高校卒業以来20年以上東京で生活してきましたが、今回神戸でこれからの人生を生きてゆくことにしたわけであります。当初は不安もありましたが、10月に神戸慶應倶楽部の例会に参加させていただき、皆様の暖かいお人柄にふれさせていただくことができ、大変心強く思いました。また、久しぶりの「若き血」を熱唱する機会にも恵まれ素晴らしいひと時を過ごすことができました。

私は、社会人になってから山歩きが趣味になり、穂高や白馬等に登頂したり、アフリカのキリマンジャロにも登頂してきました。六甲山は見かけ以上にしんどい山であるということを聞いており、是非とも歩いてみたいと考えております。

また30年来のタイガースのファンであり、サンテレビで毎日試合終了までタイガースの試合が見られると思うと嬉しくて、神戸に来てよかったと思います。
どうか、宜しくお願い申し上げます。

島田博充(昭48商)

渡辺義博会員より

樫根みづえ(昭41政)

西出晶子会員より

『ウラジオストック珍道中』

澄んだ空、風の囁きも北の大地の匂いがします。日本から、僅か2時間で行けるヨーロッパの町並み、風呂さえ我慢すれば、皆さんが思っている程辺境の地ではありません。

但し英語はあまり通じませんが、今回は旅なれたY君・K君との珍道中。ウスリースクの虎が出てきそうな田舎、アムール湾の魚釣り等ツアーでは味わえない場所まで行ってまいりました。

さて関空よりツポレフで参りましたが、トイレは流れないし臭いし最初からどうなるかと心配でしたが、お二人の旅行経験の豊富さで大変楽しい旅行になりました。
今回の旅行では地球上の人には、物を作る人、それを真似る人、何もしないで中古を買ったり盗ったりする人の3種類の人間がいる様に思われました。車は日本製、靴はブラジル製、日用雑貨は総て中国製、自国のものはウオッカとキャビアだけ、女性はパンツルックで町を堂々と歩き、若い男は各々の店の前で用心棒をしている国、アラブとは資源のある点では似ている様ですが、すこし違う様な気がします。

又、私は不動産屋ですので不動産情報も聞いてまいりましたが、なんと、広めのワンルームであれば100万円もあればアパートが買えるそうです。但し長期のビジネスビザが必要とのこと、何事も許可許可の国です、産業も育ってないので車を買うにも半分は関税だそうです。

それとこの旅の間に素敵なロシア女性と中谷美紀さんにお会いしました、女性の名はボイコ ユーリアさんと言い将来は材木の輸出を手がけたいそうなので興味のある方はご紹介申し上げます。
バウチャー リコンファームと共産圏特有のめんどくさい手続きがありますが、一度行かれてはどうでしょうか。上海とは又違う趣があります。

尚、旅行社によっては良し悪しがありますので、中国、ロシア通のK君に相談されてはいかがでしょうか?

来年は又マニアックな旅行で、ウズベキスタンからエストニアへ行こうと思います。
それではダスタベーニヤ!
次号は、矢形幸之助さん(平3法)に繋ぎたいと思います。

『一芸持ち寄りパーティ』

この秋、激しく生きた実在の女性芸術家を描い
た映画を2本見た。「フリーダ」と「永遠のマリア・カラス」である。

「フリーダ」は、メキシコの画家フリーダ・カーロの波乱に満ちた生涯を描いた映画で、監督自らフリーダを熱演している。少女時代の悲惨な交通事故による過酷なまでの後遺症に苦しみながら衝撃的な自画像を描き続けたフリーダ。体の苦痛だけでなく、夫の浮気による精神的苦痛、それに挑戦するような彼女の多彩な恋愛遍歴等には驚かされたが、喜びも苦しさも絵にさらけ出し、芸術に結実させていったことには感動を覚えた。

「永遠のマリア・カラス」はフィクションを交え、かの世界的オペラ歌手マリア・カラスの晩年にスポットを当てている。マリア・カラスといえば、芸術的な名声よりも、30キロ以上の減量、キャンセル常習犯、ギリシャの富豪オナシスとの恋愛等々スキャンダラスな側面が、彼女の真の芸術的価値よりも喧伝された感が強い。しかし、生前のカラスと親交のあったオペラの演出でも名高いゼフィレッリ監督により、妥協を許さず、芸術性を追求するあまり、誤解をされてきたカラスの真実が浮かび上がってきた。カラス役のファニー・アルダンは、子供の頃からカラスの歌声に感動していたというだけあって、外見の相似だけでなく内面までも見事にカラスになりきっていた。音楽だけでなく、恋愛、人生に対しても、異常なまでに自分の美学を貫き通したカラスの生き方は立派とも言えるが、その芯の強さゆえに歌を捨てることになり、54歳で謎の死をとげたのは哀しい。

ジャンルは異なるが、二人の女性芸術家の激しい生き様に、いさぎよさ、凄烈なものを感じた。
来月は木村裕史さん(昭62商)に書いていただきたい。

渡辺 義博(昭58商)

坊垣嘉寿也会員より

西出 晶子(昭48法)

安井明子会員より

『万歳! 阪神タイガース!』

2003年9月16日、全国(特に神戸・大阪)のタイガースファンが待ちに待った18年ぶりのリーグ優勝を果たしました。おめでとうございます!
私自身も大阪に生まれ育ちまして、長年のタイガースファンであります。今回の18年ぶりの優勝は私にとっても、非常に感慨深いものがあります。
その理由は次のとおりです

その1 1985年の前回の優勝は丁度、私が結婚した年でありました。結婚式が9月21日で、その後10月16日にタイガースがリーグ優勝を果たしました。その後18年が経過しましたが、その間、タイガースの監督は6人(吉田―村山―中村勝広―藤田平―吉田―野村―星野)が変わりましたが私の家内は変わりません。

その2 商学部を1983年に卒業し、その年にノースウエスト航空会社に就職しました。1年後輩に、あの85年の優勝監督・吉田義男さんのお嬢さんがいました。その関係か、85年の優勝旅行でタイガースがハワイに行かれた時、吉田監督はノースウエスト航空を利用していただきました。

その3 2002年1月より、ソニー生命保険でライフプランナーをさせてもらっていますが、早いもので、1年8ヶ月が過ぎ、200件以上のご契約を預からせていただいておりますが、いろいろな方との出会いを楽しみながら仕事させてもらっています。昨年末に、西宮北口駅近くで小料理屋をなさっている女将さんの保険のご契約をいただきました。そのお店の1番の常連さんが元阪神タイガースの大投手、小山正明さんです。時々、タイガースの話をしますがサンテレビでの解説と全く同じです。

日本シリーズがまだ先に控えています。是非 日本一になるように神戸慶應倶楽部の皆様 応援宜しくお願いします。
次は、島田博充さん(昭48商)にペンを譲ります。

『一芸持ち寄りパーティ』

「今度Aさんの家でパーティがあるんだけど来ない?」と東京の友人からメールが入った。一週間程上京して帰って来たばかりだったので躊躇したが、25周年記念の折に再会を果たして以来の友人も来るというので参加することにした。

皆より少し遅れて到着すると、ピアノやヴァイオリンの音で何やら賑やかである。準備中の友人に訊いてみると、何と“一品持ち寄り”ならぬ“一芸持ち寄り”パーティとのこと。「貴女に言ったら来ないかもしれないと思って内緒にしていたの。」ですって。Aさんお手製の美味しいお料理とワインを頂きながら、ひとしきりオシャベリをした後、いよいよ一芸発表会の始まり。

慎重に指を運びながらヴァイオリンを演奏する人、有名だと出来映えが分かるからと珍しい曲を選んでショパンを弾く人、本当は音大に進みたかったのと堂々とピアノを演奏する人、仏語でシャンソンを披露する人。腕前はそれぞれだが、本人は勿論聴いている方もすごく楽しい。正に音(を)楽(しむ)の言葉通り。私もほんの少しだけピアノにさわってみた。Bさんとの連弾。私が伴奏、彼女がメロディ。大学2年の時流行っていた曲。当時も二人で弾いた曲である。鮮やかに記憶が蘇る。約30年振りの連弾。何とも嬉しかった。

思いがけず沢山の刺激を受けて、私も又何十年振りかでピアノの練習を始めたくなった。次回は、お気に入りのあの曲に挑戦!
来月は、樫根みづえさん(昭41政)に書いていただきます。

坊垣 嘉寿也(昭56経)

紀伊国谷隆会員より

安井 明子(昭60理工)

井垣誠一郎会員より

『お盆時間』

この頃の外国人や若い人達の犯罪・中高年の自殺のニュースを聞く度に、私のような能天気な人間でも世の中何とかしなければいけなくなってしまったと考えてしまいます。

人は皆、社会的にも精神的にも遺伝的にも何処かに帰属していますが、それがうまくいかない。判らなくなっているのだと思います。自分のアイデンティティーは何なのか。何を受け継ぎ何を伝えていかなければならないのか。アイデンティティーが希薄になって本当は頼りにならないもの、頼ってはいけないものに存在を委ねるような事になってしまっていないか。自省もしなければならないと思います。

どう生きるのが自分らしいかを考えるだけでなく、隣の人もどのような生き方をしたらその人が幸せになれるのか。またお互いが幸せになれるのか。そんな事も考えなければならないと思います。

40歳も半ばになる迄いろいろと批判的に世の中を見てきたと思いますが、やっとこの歳になってあるがままに優しさをもって事にあたった方が自分も楽な事に気がつきました。多くの先輩や友人の言う通りでした。

ちょうどお盆を迎えましたので、より穏やかな気持ちで落ち着いて静かな時間を持ってみようと思います。
次号は、渡辺 義博(昭58商)に輪をつなぎたいと思います。

『今年の夏』

例年にない長梅雨。そして涼しいお盆休み。
今年の夏、私は腕を痛めてしまい、ゴルフもできなくて、暫く意気消沈していましたが、かわりにミュージカルに夢中になりました。

それまでは、ミュージカルというものを毛嫌いしていた節もありましたが、梅田のドラマシティでふと見た「シンデレラストーリー」は、童話の「シンデレラ」をコミカルに、より現代風にアレンジしたもので、そのハイテンションな楽しさにすっかり魅せらてしまいました。特に、私と娘のお気に入りは、東京芸大声楽科在学中の王子役のアクターです。

伸び伸びとした心地よいテノールがシアターを包み込み、観客を魅了します。「やっぱりミュージカルはああいう風に歌がうまくないとね。」なんて、偉そうなことを言いながら帰りましたが、もう一度聞きたくて、聞きたくて、名古屋公演にも出かけて行ったありさまです。これって、一種のいわゆる追っかけ?

それから秋に公演される「ハムレット」、来春の「エリザベート」に先立って、文庫本を読み、家の本棚には、これまでの婦人雑誌に替わって、「シアターガイド」、「ミュージカル」、「Look At Star」などの雑誌が並びました。チケットも手に入れないうちから、渋谷で上演される「ハムレット」が楽しみで楽しみで・・・。

冷夏なんてとんでもない。とても熱い?ミュージカルな夏でした。
来月は、西出 晶子さん(昭48法)に書いていただきます。

紀伊国谷隆(昭55商)

上村達雄会員より

井垣誠一郎(昭58法)

横田洋子会員より

『豊かな自然に囲まれて』

かぶと虫・くわがた虫→多数、かぶと虫の幼虫・さなぎ→多数、いもり→多数、やもり→多数、かたつむり2匹、ミミズ(これはエサ用ですが)→多数。

これらは自宅の周辺、および自宅で小2の息子と採集した虫類です。かぶと虫の幼虫は、去年卵から孵化したものです。今は、カメ(近くの川にいます)を飼いたいと言い出しています。私にも覚えがありますが、生き物に興味を持つ年頃なんでしょうね。最近は私のほうから「今日は何を採りに行く?」とか言ったりしています。そしてエサやり、水替え等の世話を楽しんでいます。

6月上旬には、ホタルも乱舞とまではいきませんが、数十匹単位でユラユラと幻想的なシーンを見せてくれました。

あの地震で住み慣れた町が無残な姿になってしまって、それを毎日見るのが辛くて、北区に引っ越ししました。

空気がおいしくて、山の緑が目を癒してくれて、都会の喧騒から開放されて、夏も昼間以外は涼しくて(その分、車がないと生活できないし、子供達は小学校まで40分歩いて登校しているし、今年はムカデが多いし、冬は少々寒いですが)でも、今の自宅の環境を本当に気に入っています。

夏休みが始まると、生き物の種類も数もますます増えていきそうです。
次は坊垣賀寿也さん(昭56経)にお願いします。

『高い理想と志』

6月度例会の安永教授のご講演「国際会計と日本の会計ビッグバン」には所用で出席できず大変残念でした。いろいろとお聞きしたいことがありました。

少し専門的になりますが、この講演テーマに関連して私は企業の経理・財務マンとして「今の仕事の課題は?」と聞かれれば、(1)退職給付債務 (2)税効果会計 (3)減損会計 (4)米国企業改革法と答えざるを得ません。2〜3年前に同じ問いをされれば少し違った返答になっていたかもしれません。
企業決算の現場にいますと企業会計を取り巻く環境はここ2年ぐらいで激変した印象を持ちます。

企業情報の適正開示が言われて久しいですが、本来は全ての企業経営者が投資家保護のために適切な情報開示を「高い理想と志を持って」普通に実行していれば現在のような仕組みでガチガチに規制する必要もなかったはずです。

米国のエンロン社粉飾決算事件を機に日本でも企業決算に対する規制は一線を越えた感があり、益々エスカレート気味です。米国SEC基準で決算する弊社は四半期決算毎に会社スタッフはもちろん、常時30〜40名という公認会計士の方が土日もなく張付いて連結決算発表の期日に滑り込みます。これほど非生産的なエネルギー消費もありません。人が作った仕組みが怪物化し、結局、それが人を殺してしまう典型例になりかねません。

高が会社決算と言えど、こういう側面から、かつて産業界で活躍された塾の諸先輩が示された「高い理想と志」というものを考えさせられる場面が最近はよくあります。
来月は安井明子さん(昭60理工)に書いていただきます。

上村達雄(昭18経)

玉田和子会員より

横田洋子(昭49文)

間森 坦会員より

『人生偶然だらけ』

人生とは偶然から偶然への綱渡りだというのが82才の感想だ。
文学部の後輩にUさんという神戸学院大学の先生がいなかったら、塾での65才定年後の己れは神戸のその大学へ呼ばれることなしに、どこでどうしていたか分からない。

さらにその大学の栄養学部にO・U女史がおられなかったら、神戸慶應倶楽部の存在も知らずに、玉田和子さんからのこのリレーもなかったはずだ。また同倶楽部の副会長に聖公会の主教Y師がおられなかったら、偶然聖公会に属していた私もその教会にかよう身とはならなかったはずだ。

すべて偶然の産物だ。さらに7才も年長の荊妻にアルツハイマーの兆候が見え初めて、なぜか某生保から千葉に出来る有料老人ホームのPRが舞い込んで、つい食指を動かしたのも偶然だった。

そもそもは関西永住のつもりで芦屋の住居を購入していたのに、伴侶の病状悪化にたまりかねて、そのホームに移り住み、3年間だけ千葉から神戸へ“痛勤”する羽目になった。そして合計8年間の関西体験に終止符を打って3年後に、あの大地震だ。あの朝からテレビ画面にあふれ返る惨状を見るたびに、心に打ち寄せる大波のことはもう語るまい。

平穏だった日々に神戸で培った友情の数々を思い、偶然の連鎖で老人ホームに身を置く今をありがたいと思うのみだ。
バトンは紀伊国谷隆君(昭55商)へ渡したい。

『音訳』

昨年、年代替わりを機に何か新しい事を始めてみたいと思っていたところ、ある日の夕刊に“新聞音訳ボランティア募集”の文字。視覚障害者のための専門ラジオ放送番組で新聞を音訳するものだ。国語力の筆記テストを経た後3ヶ月の講習を受け、昨夏から活動を始めた。日刊全国紙の朝刊・夕刊とも生放送。

私は主に月2〜3回夕刊を担当している。4紙を二人で交互に読んでいくが、午後4時前後に夕刊がスタジオに届いて4時半から6時までの生放送。ほとんど初見に近い。講習会でアクセント・呼吸調節・発音・鼻濁音・母音の無声化の練習など勉強したが、まだまだの上地名や人名などは自分で知識として日頃から頭に入れておかなくてはならず、言葉や文字に対する意識が大幅に変わった。

新聞音訳は喜怒哀楽を出さず淡々と読まなくてはならない。今まで経験してきた朗読や、アマ司会とは違う。言い含める様にではなく、内容を把握しつつ新聞をスピーディに確実に伝える事が必要とされる。新聞を声に出して読むことで初めて気がついたが、私はいかに“目”で読んでいたことか。正確に読む事のむずかしさを実感する日々。

80歳を越し未亡人で一人暮らしの実家の母に、毎日「天声人語」を声に出して読む事を勧めた。発声は健康に良く、読む事は頭の体操にもなる筈。

それにしても「茨木(市)」も「茨城(県)」も「いばらき」。 「日本橋」東京では「にほんばし」大阪では「にっぽんばし」などなど・・・ふむ、覚えることがいっぱい!
次は、井垣誠一郎さん(昭58法)にペンを譲りたい。

玉田和子(昭46文)

村田修一会員より

間森 坦(昭38医)

田崎和代会員より

『倶楽部の想い出を手繰って』

私が神戸慶應倶楽部の扉を叩いたのは、高校で教壇に立ち始めて数年後、20代も半ば過ぎのことだった。今は亡き濱根会長、谷幹事長時代である。それからもう早30年近い歳月が流れようとしている。

当時は、倶楽部での出会いや交流が楽しく、独り身の身軽さもあって、その出席率は優等生並だった。毎月の例会は朝日会館(旧)の狭い部屋で和気藹々と和やかな歓談の時間を過ごし、二次会は神戸の夜の街へ。私も先輩のお供で神戸の素敵な夜の顔をいくつも覗かせていただいた。結婚し子供が生まれてからも、よちよち歩きの手を引いて家族例会や関西合同三田会に出席し続けた。その息子も今年20歳を迎える。

倶楽部のことを想うと、いつも濱根会長の優しいまなざしと包容力溢れる笑顔が胸に浮かび、えもいえぬ不思議な温もりが私の心を満たしてくれる。豪放磊落ながら繊細な心配りをなさる方だった。こうして筆を走らせていると、会長お得意の「いろは歌の逆さ詠み」とともに、皆の笑い声や和やかなどよめきが蘇り、様々な出来事が脳裏をよぎる。

そして、また、今は亡き懐かしい方々のお顔が彷彿と浮かぶ。エリザベス女王との握手に感激し、その手を1ヶ月も洗われなかったお酒の大好きな八代先輩、倶楽部のためにいつも気合いを入れて楽しいオークションをされた里美先輩……。誰もが倶楽部をこよなく愛され、多くの後輩たちがどれだけその薫陶と慈しみを受けたことか。

生前のお言葉どおり三色旗にくるまれた濱根会長を斎場でお見送りしてから6年。後を引き継がれた森、上島、和田会長を始め多くの方々が激務をこなしながら、倶楽部のために奔走してくださる姿に、この場を借りて心からの感謝を申し上げたい。私にとって倶楽部はまさに、『人生を充実させる場』であり、『心のオアシス』であり、『やすらぎの場』である。これからも可能な限り倶楽部の活動に参加し、さまざまな方々との出会いを大切にしたいと考えている。

次は、元慶應教授の上村達雄先輩(昭18経)
に輪をつなぎます。

『入会したころの思い出』

昭和50年 神戸慶應倶楽部に入会したが、濱根会長の最初の言葉は「どうせ藪医者だろうけど、また、病気になったら相談するから、しっかりした治療を頼む」、そこへ谷日出哉先輩がこられ、「オイ谷、内科医の間森君が入会したので病気になったら診てもらえ、谷君が治ったら、わしも診てもらう。あんたが実験台や」と笑いながら言われた。例会の挨拶のときも、塾医学部を卒業した、

内科医の間森君が入会したので、病気になったら診てもらうとよいと 紹介して下さった。その後、日々の例会や総会に出席して、ビールを飲んで歓談し、多くの塾員と知り合いになることができた。また、会長はじめ、塾員が診療所にきて下さった。     

それから約25年になり、私は65才を過ぎました。明治生れの会長や住田、榎並先輩を拝診したとき、先輩達は65才くらいであられたが、慶應マンの気風があり、魅力ある大先輩でした。それに比べ、私の方はただ馬齢を重ねてきました。

私達、昭和38年卆は、今年卒後40年になります。3月15日に、東京のウォーターフロント、台場フジテレビ球体「四季」で、夫婦同伴のクラス会があり出席しました。約40組の爺婆の集りでしたが、自分の子供より若い学生時代の思い出話しをして、楽しい一夜を過してきました。

10月19日に卒後40、30、20、10年が主催者となり、連合三田会が開かれます。皆様、ご参加下さい。拙文ですが、リレーエッセイです。
次は、横田洋子さん(昭49文)にバトンタッチいたします。

村田修一(昭39商)

高島知司会員より

田崎和代(昭61文)

青戸統子会員より

『里山を楽しむ』

関西移住を機に始めた農業への取組みが、今春で5年目を迎える。日生中央から5km程、標高2百米の里山に山林と田畑を所有する農家に月5〜6回手伝いに通っている。

最初の訪問で驚いたことは田畝の廻りが黒く焼けただれていたことと化学脂料の多用である。そこで私が提案したのは農薬と化学肥料をなるべく使わない有機栽培を目指そうということである。

自然は人間にとってそうそう都合よくできていない。何と雑草の生命力の強いこと。ちなみに雑草より強い野菜はトウモロコシ,カボチャ、ウドだそうだ。どんな農業入門書にも書かれている通り農作業の7割は雑草との戦いであることを痛感。この作業こそが日本人の忍耐力と勤勉さを育んできたのだと実感する。除草は私が得意とすることの一つである。蛇が大嫌いなので草刈機のヘッドを動かす速度が早いので作業能率が大変良い。

季節に応じての米、野菜作り、椎茸栽培のかたわら何といっても最高の楽しみは労働の後少々のお酒で収穫物を賞味することである。野菜も魚同様1時間毎に鮮度が落ちるそうだが獲りたての物は格別の甘味がある。1年の行事として春は山でのお花見と山菜のテンプラ、初夏には竹林での蛍観賞、秋は栗拾いを兼ねた芋煮会、暮れの餅つき等イベントにはこと欠かない。

体力の続く限り農作業を続け里山の四季を楽しみたい。
次は、絵画同好会でご一緒の玉田和子さん(昭46文)さんに書いていただこう。

『宇宙への道』

青戸先輩、この度はご指名頂き、ありがとうございます。
 先日、GARY ZUKAV薯「THE SEAT OF
THE SOUL」という本の中で、「すべての道が、故郷(宇宙)へ通じている」というところに感銘を受けました。

「私たちは、地球学校で学習し、進化し、宇宙へ還って行く」と言う考えは、宇宙に対して懐かしい思いを起こさせます。

小さい頃から、空を見上げるのが好きで、宇宙のことをあれこれ想像しては、途中で、わからなくなって、それ以上考えるのをやめていましたが、その時の答えの一つを与えられたような気がして、嬉しく思っています。
今も、わからないことばかりですが、時間や空間を越えることに思いを馳せることは心躍ることです。

福澤諭吉先生の「生涯」「学習」のお教えの通り、卒業後もずっと、素敵な諸先輩方皆様と共に、学ぶことができるというのは本当に、ありがたいことと存じます。
次号は、神戸慶應倶楽部に私を紹介してくださいました 間森 坦先輩(昭38医)に、感謝を込めてバトンをお渡ししたいと存じます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

高島知司(昭63経)

松尾茂生会員より

青戸統子(昭29文)

長岡多摩子会員より

≪高校時代≫

もう20年以上前になりますが、神戸の市立中学を卒業した私は、慶応高校に進学することになりました。その当時、神戸の市立中学の男子生徒はみな坊主頭で、そんなさえない髪型で上京したものだから全く校風に似つかわしくなかったと記憶しています。

私がまず慶応高校に行って驚いたのは、高校生なのに選挙権をもった方(20歳を超えている)が多数おられたことです。高校1・2・3年生でそれぞれ留年し裏表を経験されるとそうなります。

ちなみに麻雀の同じ柄を2つ集める役と同じなのでイーペーコーと呼ばれていました。「こんな高校生がいる高校って一体なんなんだと・・・」
次に驚いたのが、先生が結構いい加減なとこです。いい加減というと支障があるのでユニークということにしておきます。
ある日本史の先生は5月連休ぐらいまでずっと邪馬台国の話ばかりされておられました。

クラスの仲間と「わりとスローペースだね」と話し合っていたのですが、結局1年間で邪馬台国しか進みませんでした(教科書10ページもいかなかった・・・)
先生の専門が邪馬台国だったらしい、というか邪馬台国しか知らない先生だった。

あとあげればきりがないですが、文化祭AV喫茶事件などとても公表できない思い出があります。

慶応って外からのイメージと実態は結構違いますよね。
次は、村田修一さん(昭39商)に書いていただきます。

≪好奇心あれこれ≫

101歳の姑のお蔭で未だにご近所から若奥さんと言われているが、この所、昼夜逆転した母に夜中に起こされる事しばしば。ほんとうに若ければ直ぐ又眠れるだろうけど、そうもいかない。とりあえずTVをつける内、24時間ショッピングなるものを見るようになった。

初めはその手に乗るまいぞと冷たく見ていたが、通販の本と違って、説明と効果を目前に見せられると、がばっと起き上がりダイヤルしてしまう。おかげで朝からモーローとして、夜は又お目目ぱっちりの悪循環。 

しかし成果は多彩。衣類は今ひとつ、このちびころサンボには無理があり、諦めの境地だが、超音波歯ブラシ(電動歯ブラシではない)、スエーデン製のガラス拭き、ドイツ製の台所用品などは大成功の部類で、日々エンジョイしている。ところで良いとなったら私の悪いくせ、人様にせっせと勧めてしまうので、皆様どうぞご用心。

まあ、便利な新製品もexcitingだが、古い物も捨てずに活かしたく、けちと言われようと我が道を行く。物を大切にと教えられた世代の宿命かしらん。オレンジ、伊予柑の皮はマーマレードに。贈られた鉢花の背高ダンボールは、巻いた小絨毯を縦に収納して屋根裏へ。手焙り火鉢は綺麗な白いパッキングを灰替わり、オランダの赤い木靴を炭替わりにして、ガラスの蓋を嵌めて小卓に便利している。
いかにも古びた家具は木目を生かしつつ花をペインティングしたら蘇った。ばんざい!

20年来の棟梁は、電話をすると、“今度は何を思いつかはりましたん?”そう、当分手と頭は使っていくつもりでおります。
次は田崎和代さん(昭61文)にお願いします。

松尾茂生(昭60商)

朝藤 洋会員より

長岡多摩子(昭37文)

廣川まもり会員より

≪アニメ≫

最先端のロボットの開発はかなり進んでおり、自ら2本足で歩いたり、話をしたりできるようになってきたようですがまだまだアトムには及ばないようです。
私の生まれた翌年の昭和38年に“鉄腕アトム”がテレビ放映されてから40年がたちました。設定上のアトムの誕生日は2003年4月7日です。なんと私と同じ誕生日なのです。

だからという訳ではないでしょうが、幼い頃より結構アニメに親しんで?きました。
私を含め、現在40代の人は第1次アニメ世代と呼ばれ、アトムに始まり、“ジャングル大帝レオ”“リボンの騎士”などの手塚アニメ、“巨人の星”“タイガーマスク”、“アタックNo.1”、“あしたのジョー”などのスポ根(スポーツ根性物)アニメ、“ムーミン”、“ハイジ”、“フランダースの犬”などのカルピス劇場物、“サリーちゃん”、“ひみつのアッコちゃん”などの少女魔法使い物・・・

その後も数々のアニメが登場して楽しませてくれました。最近では宮崎駿先生作品が根強い人気で、一昨年の“千と千尋の神隠し”の劇場アニメが爆発的にヒットし、先日のテレビ初放映も視聴率の記録を更新したのは記憶に新しいところです。(今年の正月には家族で東京都三鷹市にあるジブリ美術館へ行ってきました。)

アニメの元祖であり実績も人気もNo.1は何と言ってもディズニーでしょう。我が家は親子共々ディズニーフリークで、家には数多くのグッズにあふれ、頻繁にディズニーアニメのビデオが流れています。先日も家族で映画の“ピーターパン2”を観に行きました。

かつてピーターパン症候群と言って、大人になりたくない症候群が取り沙汰されましたが、私は我が子と共にアニメに浸るひとときが、今のこの暗くてイヤな世の中から逃れて、夢と希望と勇気で一杯の子供に戻りたい症候群です。(そのパワーが現実で活かされるといいのだけれど・・・)
次は、高島知司君(昭63経)にお願いします。

『ある日、突然』

昨年、8月中旬過ぎの猛烈な残暑の頃、私はJETプログラムの一環として神戸市招聘の米国、英国、カナダからのAssistant Teacher 達に日本語を教える為、ハーバーランド内にある神戸市総合教育センターへ連日、満員電車で通勤。若い彼等を対象とした学習は教えがいもあり、喜びもありますが、疲労感もなかなかのものでした。

いつものことながら、最終日はさしたる問題のある生徒もなく無事終了という満足感、解放感そして嬉しさを感じつつ報告書を書き上げました。

明日はゆっくりと新聞を読みながら豪華朝食をとろうetc.etc.と、私なりのささやかな楽しさにひたりつつベッドへ。
早起き鳥の私はゆったりとした朝食を楽しむ為にいつもよりもっと早く起きようとしたとたん、何ということでしょう!右腕が意志通りに動きません。何で?何で?ともがきながら外出の用意。すでに素晴らしい朝食は頭から吹っ飛び、私はペインクリニックに飛びました。

“まわしてごらんなさい、充分に回らない、アッハハハ、俗にいう50肩”と先生。
注射の後、効く薬はないが――薬をもらい帰宅。お陰で、下手なゴルフはますます下手に、テニス、水泳&筋肉トレーニングと努力中ですが、いまだ完治にいたらずです。

いまにして思いますと友達が50肩とか何とか肩とか言っていた時、少しの同情をすることもせずに、“えっ、本当?”等と言い、何程の親切心も示さず、労りもせず薄情な態度をとったので罰があたったようです。これからは人の痛みにも深い同情を!と反省しきりです。
次号は、青戸統子さん(昭29文)にバトンをお渡しいたします。

朝藤 洋(昭41法)

辰野芳之会員より

廣川まもり(昭57政)

塚本明久会員より

『16年振りの元町・京町筋界隈』

昨年7月の移動でほぼ16年振りに神戸勤務となり、元町商店街東入口から神戸市役所の西のオフィス街を歩くことが多くなりましたが、大震災以降の街の変貌と歩く人々の微妙な変化にとまどっています。

この辺りは激しく揺れて建物の多くが倒壊、新しく建て直されたビル街は見た目には綺麗になっていますが、更地のままの空き地を含めてそれまで勤務した20数年間の記憶も消し去り何となく落ち着かない風情の街になっています。

お客さん訪問のため歩く海岸通、旧居留地街、京町、伊藤町ではネクタイ姿のサラリーマンの数が大幅に減っているなと思いました。考えてみれば、ここにあった日本の三大船会社は六甲アイランド、ポートアイランドに支店を移し、後に入っているのはアパレルのブランドショップが殆どだし、外資系の船会社も統合されて数が減り、多くは大阪に移っています。さらに銀行、損保、生保の統合により栄町一丁目から五丁目にかけては六つの大きなビルが空っぽになっています。

これでは飲み屋も大変だろうなと思い昔のなじみのママさんに聞くと小生が思っていた以上にサラリーマンの減少を嘆いていました。

夜の元町界隈活性化のため、暇と少しお金のある方はこの辺りでささやかに飲みましよう。(畑中君の「赤のれん」にも行ってあげてください。) 
次は、若手松尾茂生君(昭60商)に書いていただきましょう。よろしく!

『私の神戸慶應倶楽部ライフ』

思い起こせば芦原前名幹事長に甘言を弄され、神戸慶應倶楽部に入会して早二年半。あの頃、私の周りの女性は、なぜかいつの間にか入会されていたものです。芦原さんのご人徳でしょうか。
「入会させられちゃったのよ!!」などと格好をつけている割に、絵画同好会・囲碁同好会に入会し、ゴルフと言えば神戸の方とご一緒することが多い昨今です。

絵画同好会は、このBRBの編集者でもある八巻さんがお世話してくださっているのですが、自分よりヘタクソであろう方を入会させたがっている困り者で、昨年は井上光さんが入会されたと無邪気に喜んでおられました。と言っても私も全くの初心者ですが・・・。  

ご指導は梅地先生という世俗を超越した仙人のような優しそうな方ですが、見かけにだまされていると容赦ない御批評を頂き、足元をすくわれます。しかし、みなさんはそれにもめげず地道に自宅で練習されたり、高価な絵の具を購入されたりと実に真剣です。面白いもので、同じモチーフを描いても各々のお人柄がにじみ出た個性的な絵に仕上がり、見比べるのも楽しみの一つです。

たまには頭を使わなければと入会した囲碁同好会ですが、未だに何をやっているのか意味がよく分からない始末です。「また馬鹿なのがばれてしまう・・・。」と頭をかかえ、重い足取りで出かけております。囲碁初心者の方是非入会され、私と手を取り勉強いたしましょう。あぁ、これでは第二の八巻さんになってしまう・・・・。

何はともあれ同窓というご縁で、多くのすてきな方々との出会いがあり、楽しい神戸慶應倶楽部ライフを満喫させていただき感謝しております。
次号は、長岡多摩子さん(昭37文)にバトンをお渡しいたします。

辰野芳之(昭42経)

金子家隆会員より

塚本明久(平9総)

槌橋真美会員より

『初めての関西生活、雑感』

昨年の夏、転勤に伴い単身赴任しました。
職場は淀屋橋、住まいは西宮門戸厄神です。
これを機に神戸慶応倶楽部に入会した新参者です。何とぞよろしくお導きのほどお願い申し上げます。

卒業と同時に現在の勤務先、関電工(関西電力に非ず東京電力の関連会社)に入社、以来 異動はあってもずっと東京の自宅から通えましたが、
2年間の水戸に続いての今回の単身生活です。修学旅行以来の関西であり 関東人の小生にとっては、何かとカルチャーショックの日々なので、雑ぱくながらその一端をご披露します。

●生活文化(食)

  1. 関西は薄味。と聞いていた。塩分控えめにした い小生にとって塩味は随分濃いように思う。色が薄いのは色彩感覚がデリケートなのかも?
  2. 刺身醤油が甘いので、いささか参る。せっかくの刺身がどうも・・・。
  3. ごはんの炊き方は、概して柔らかい。米粒のもちもち感が不足・・・

●生活習慣

  1. エスカレーターの歩行用サイドが、関西は左、関東は右
  2. ラッシュ時の電車、無理せず並んで次を待つので、詰め込み乗車がしづらい。

●歴史の厚み

  1. 邪馬台国(3C前半)の所在は??歴史ファンの関心事ですが、どうやら畿内説が有力になってきたと思う
  2. 神戸の地図で、鵯越(ひよどりごえ)町を見つけて感激。あの軍事の天才義経の戦跡(1184)がしっかり残っているのだ。
  3. 戦前、戦後の戦を、京都では応仁の乱(1467〜77)と言うのは本当ですか? 西陣の地名が残る位だから、本当なのだろう。
  4. 世界に先駆けて、先物取引を始めたのは大阪の米会所とのこと。

次は朝藤 洋会員(昭41法)にお願いします。

湘南藤沢キャンパスと私

私は平成9年(1997)に総合政策学部を卒業して早もう5年がすぎました。卒業以来、三田キャンパスには足を踏み入れたことはあるんですが、湘南藤沢キャンパス(SFC)には、残念ながら足を向けておりません。ただ、SFCも数年前より「SFC三田会」も発足し、SFCの事務室にも「SFC卒業生連携担当」が設置され、卒業生関連の活動も活発化し、さらに11月23日には、SFCではじめて卒業生を対象としたイベント「ホームカミングデー」が開催されました。

私は仕事の都合で出席できませんでしたが、たまたま竹中金融・財政担当大臣が当日のイベントに出席者としてSFCの校舎でパネルディスカッションしている姿(竹中先生はSFC時代と全く変わらずのトークぶりでしたが)やキャンパスの様子が紹介され、それを偶々テレビでみることができました。テレビをみた直後急に、SFC時代のことが頭の中で走馬燈のごとくよみがえってきたのです。

とりわけこの季節になると、1年生の時、C言語のプログラミングを完成させねばならず、何日も遅くまで教室に残って友人と出会い語り合えたことが大きな思い出となっています。

その名残として当時のメンバーとは今でも年1回必ず親交を温めているのです。彼らは現在私同様に仕事で全国各地に散らばっていますが、その地方に赴任しているメンバが順番で幹事をし、その居住地へ我々を招待することにして、それが今や5年目ですが、栃木・鎌倉・静岡・伊勢・金沢と毎年続けています。いつまで続くかわかりませんが、まだ塾生気分の抜けない正式登録もしていない、このもうひとつの「三田会」を神戸慶応倶楽部同様心のよりどころにして継続参加していきたいと思います。

次号は、廣川まもりさん(昭57政)にバトンをお渡しいたします。