2010年会員便り

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2010年11月号掲載

≪新入会のご挨拶≫

倉片 哲絵(平18文)

このたび神戸慶應倶楽部に入会させて頂きました、平成18年文学部卒の倉片哲絵と申します。先日のサマーパーティーから参加させて頂いております。以後、どうぞ宜しくお願い致します。

私は現在、神戸に本社を置く住宅設備機器メーカーの国際事業部に勤務しています。新卒で2006年4月に入社し、この3月までは名古屋支店でガス会社系のルート営業を担当していました。弊社の主力商品はガス給湯器なのですが、名古屋はライバルメーカー2社の本拠地のため、非常に苦しい戦いをし続けて鍛えられた4年間でした。販売店の在庫1本を「取った取られた」で毎日大騒ぎし、お客さまに育てられてようやく一人前になったところで、社内公募制度で国際事業部へ異動することになりました(と言っても英語は話せませんが・・・)。今は、どの国に何をどうやって輸出するか、といった企画業務を担当しています。慣れない貿易用語や独特の業界英語、海外出張、「お風呂」の考え方の違いなどに四苦八苦していますが、若手ならではの「人に聞ける」特権を活かして、日々勉強しながら仕事に取り組んでいます。

社会人経験はまだまだ語れることが少ないので、私の学生時代のことをお話ししたいと思います。私は埼玉県にある浦和明の星女子高等学校から、文学部に入学しました。出身は埼玉県所沢市です。高校時代は勉強よりも部活や委員会のような課外活動ばかりに熱中し、卒業アルバムを見てもほとんどジャージで写っているような生徒でした。あとから聞いた話ですが、当時の先生方は「これでどこの大学にも受からなかったら下級生に示しがつかなくなるところだった」と私(と私の友だち)の行く末をだいぶ心配していたそうです。

そんな熱い高校時代でしたので、大学でも何かやりたい、という気持ちがとても強く、入学後は慶應義塾体育会器械体操部に入部しました。塾体育会器械体操部は日本最古の体操部であり、私たちが入部した2002年はちょうど創部100周年でしたので、いきなり部や塾体育会の伝統を見せつけられました。決して大きくも強くもない部でしたが(今はかなり強い部です)、先輩・後輩のつながりが非常に強く、高校生からOB・OGまで一体となって競技に取り組むような雰囲気があり、今もその流れが続いていることを嬉しく思います。紆余曲折あって、選手ではなく主務として部生活を送りましたが、この体育会での4年間は大事な仲間を得られただけでなく、その後の人生でも自分の糧になる経験をたくさん積ませてもらいました。今巷では「ドラッガーのマネージメントを部活に・・・」みたいな本が人気になっているようですが、実はこの頃から塾体育会では「マネージメントを部活に取り入れる」という教育が既に始まっていたのをご存知でしょうか。私がいた当時は「LEAP(Leadership and athlete program)」という講座で、マネージメントを部の運営に活用していくためのさまざまな方法論を学び、実際に第一線で活躍されている先輩方と直接マネージメントについて議論する、という内容でした。今でも会社の机に当時のテキストを入れており、何かあるとこのテキストに立ち返って物事を考えるようにしています。体育会といえばとかく「脳みそ筋肉」のようなイメージを持たれがちですが、「部だけではなく社会で役立つリーダーになれ」というこのプログラムを通して、「運営」「経営」「勝つこと」を理論的に考える癖がついたと思います。

体育会以外にも、メディア・コミュニケーション研究所(昔の新聞研究室)に所属して子どもとメディアについて研究したり、図書館・情報学専攻では図書館の中を資料を探してさまよったり、図書館実習を経験したり、とても忙しい学生生活でした。「学生時代はどんなことして遊んでたの?」と聞かれても、何をして遊んだかほとんど記憶にないくらい遊べませんでしたが、今の私を確かなものにしてくれたのは、間違いなく慶應義塾だと思っています。

最初に配属された名古屋では、初めての一人暮らしと仕事に振り回されて慶應どころではありませんでしたが、2008年に「三田水曜倶楽部」に参加したのが慶應と私を再び結びつけるきっかけとなりました。普段はお客さまと社内の人しか会わないような生活でしたので、塾の先輩方から聞けるお話が非常に刺激的で、どんなにグッタリして出席しても、帰りには「よし、明日も頑張ろう」とシャキッとしていたことを思い出します。そんな経験から、「どこに異動しても三田会には入ろう」と思うようになりました。地元からは遠く離れてしまいましたが、同じ塾出身というだけでこんなにも温かく迎えてくださる方がたくさんいて、私としては非常に心強いです。これからこの神戸慶應倶楽部でどんな方とお会いして、どんなお話をお聞きできるのか、とても楽しみにしております。若輩者ではございますが、今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。

≪新入会のご挨拶≫

植田 万理子(平14法)

平成14年3月に政治学科を卒業しました植田万理子と申します。通信社に勤務しており、これまで札幌、釧路、大津に転勤し、平成19年5月から神戸に赴任しました。兵庫県は幼少のころ、父の転勤で芦屋市に3年間住んでいたことがあり、赴任の際には当時を懐かしく思い出しました。神戸に来て3年ほど経つにもかかわらず、最近になってこちらの会の存在を知り「もっと早く知っておけば・・・」とちょっぴり後悔しています。

在学中は、ラグビーの試合を見に行くのが好きで、また私が在籍していたころは創部100年で大学選手権に優勝したころだったので、とても楽しく観戦した思い出があります。今でも早慶戦と言えば私にとってはラグビーで、秋になると慶明戦、慶早戦を見に行きたくなります。都合がつかず、なかなか行けないのですが・・・。

神戸は海と山があり、とても暮らしやすい町で気に入っています。ただ仕事以外の知り合いはまだまだ少ないので、こちらの会を通じてみなさまとお会いできることを楽しみに入会させて頂きました。どうぞよろしくお願い致します。

≪新入会のご挨拶≫

細田 浩之(昭58政)

昭和53年法学部政治学科卒業の細田でございます。簡単ではございますが、自己紹介をさせていただきます。

4年間、体育会競走部(陸上競技部)に所属、専門は、短距離(100m、200m、400mリレー)。100mの最高タイム10秒75、東京六大学陸上で400mリレー優勝、100m3位の成績を修めました。大学4年の時、400mリレー走を担当、日本学生2位を記録(40秒台)。一方、大学2年より、3年間、生田正輝研究会(マス・コミュニケーション論)に所属。日吉での練習終了後、三田を起点に、六本木界隈を中心に塾外ゼミ活動を実践しました。

大学卒業後は、三井物産(株)に入社、本店食品部へ配属。その後、南米チリ→本店→南米チリ→本店→シンガポールより本年5月帰国。6月より現在の勤務先へ出向しております。入社以来、基本的には、国内外で、各種食料関連の貿易(輸出入・三国間)を担当。特に、3度の海外勤務(チリ2回・シンガポール、通産14年間)中、三田会の活動(食事会・スポーツ関連を中心に)には、積極的に参加し、塾員の交流に努めました。

関西との繋がりは、親の転勤により大阪3箇所(東住吉/阿倍野/枚方)、京都に住んだことがあります。1978年大阪府立枚方高校卒業後、京都駿台予備校で一年間修行(?)したのが最後であり、30年ぶりの関西となります。現在、会社は神戸(東灘区深江浜)、自宅は阪急・芦屋川界隈です。

現在の勤務先(甲南ユーテイリテイ)は神戸市東灘区深江浜・神戸東部第4工区の食品コンビナートの進出企業(三井製糖、J‐オイルミルズ、日本製粉等)への蒸気エネルギー供給、排水処理を行う会社で、24時間/365日操業しております。約40年前、神戸市埋立事業で三井物産がオーガナイザーとなったのがきっかけで当社を設立し、現在有力企業誘致等を推進しております。

神戸慶應倶楽部のみなさま、今後とも宜しくお願い致します。

2010年9月号掲載

≪四国お遍路道の中の石碑
“独立自尊” (徳島慶應義塾跡) ≫

野田 敬二(昭58経)

平成22年3月23日(火)、四国八十八ヶ所・第一番札所・霊山寺を無事参拝し、逆打ち(第八十八番札所から第一番札所に向けて逆回りで参拝すること)結願しました。逆打ちランニング距離1,500キロ、平成20年10月から1年6ヶ月に亘るつなぎ遍路・延べ日数31日、参拝した寺の数108ヶ寺(別格20ヶ寺を含む)、納めた写経用紙216枚(それぞれの寺の本堂と大師堂にそれぞれ1枚)、かかった費用約100万円でした。慎んでご報告申し上げます。

さて平成19年12月から9月までの順打ちの際には次の点につき“教育的指導”を受けたので、逆打ちでは充分に注意してお遍路を楽しんできました。

(1)順打ち第三十六番札所・青龍寺付近で、臨済宗の僧侶の方から“ランニングのみなら馬や犬にでも可能なスタンプラリーにすぎない。写経用紙を納めたらどうか?”と写経をすすめられ、順打ち第三十九番札所・延光寺から第八十八番札所・大窪寺まで100枚納めました。順打ちでは発心から結願までのつなぎ遍路に延べ10ヶ月の期間を要したのに対し、逆打ちでは216枚の写経用紙の準備に時間を要し、延べ18ヶ月かかりました。

(2)平成21年1月、神戸慶應倶楽部での小職の“お遍路”講演会の際、善塔先輩から“幼稚園児3人と奥さんを放り出してお遍路に出掛けて、奥さんは何も文句言わないのか?”と質問をいただきました。この話を家内にしたところ、家内も逆打ちの徳島県内二十三ヶ寺のみ参拝しました(阿波一国打ち)。

(3)警察官に4回の職務質問、明徳義塾の教師に生徒指導を1回、高松市役所の節水を呼びかける広報車に、“水の無駄使い”を注意されること1回、それぞれ“教育的指導”を受けました。逆打ちでは極力“節水”を心がけました。

順打ち1,300キロ・逆打ち1,500キロの最終局面で写真の“独立自尊”を徳島県議会の入り口付近でようやく発見しました。これまで“頭”で考えていた“独立自尊”とは全く異なった何かを会得した気分になりました。今回のお遍路で“足”で感じたこと、観たことは(仮称)四国ランニングお遍路〜挑戦1,116キロウルトラマラソン〜(今秋自費出版予定)にまとめて公表します。いま暫くお待ちください。

最後に、お遍路中に四国連合三田会の皆様には多大な激励とご接待を頂きました。紙面を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。

≪新入会のご挨拶≫

橋本 敦子(平1文)

西に転居して7年が過ぎました。平成元年に塾を卒業後は、株式会社リクルートに13年間勤務。現在は、六甲山や有馬へと抜ける芦有道路に面した、旅行会社+フラワーショップという少しかわった形態の店舗にて、ウエディング装花やフラワースクールを主たる業務としています。

大学の4年間は、ショカールスキークラブに在籍し、夏の間は、陸トレと冬の軍資金のためのアルバイトに明け暮れる毎日。冬は約40日間の山ごもりをおこないました。4年間で200日以上も生活を共にした同期の仲間は、血のつながらない兄弟と言い合うほどで、卒業して20年以上がたつ今も交際が続きます。この2月には、それぞれの家族も引き連れ、現役が合宿を続ける野沢温泉の民宿に集いました。真面目に練習に励むクラブでしたので、誘惑の多い学生時代には途中くじけそうになることもありました。このように生涯の宝となるような人間関係を育むものとは露とも想像せずでしたので、頑張ったなりのご褒美が人生にはあるなと、野沢温泉スキー場の頂上で記念写真を撮りながら思いました。

神戸慶應倶楽部には、昨年12月に入会いたしました。そのご縁も、神戸に転勤してこられたショカールの日向先輩のご紹介によるものです。現明石市長である同期の北口君は、見知らぬ土地に転居してきた私にとって、すぐ近くにいる、身内のように頼れる有難い存在です。大学進学のとき、「慶應は縦横つながりのとても強い学校だから」と勧めてくれた叔父がいたのですが、卒業して20年以上が過ぎ、ますます強く実感しています。神戸らしい場所で、年代を越えて元塾生たちが集う、和気藹々とした会合を毎回楽しんでおります。人と人とのつながりほど人生を豊かにしてくれるものはないと感じます。神戸の地で、大学時代の4年間に負けないほどに素晴らしい良き友人知人関係が築けるよう、これからも積極的に参加させていただきたいと思っております。末永くよろしくお願いいたします。

2010年6月号掲載

鍛治川 清司(昭48経)

昭和48年経済学部卒業の鍛治川です。昭和44年3月に18年間暮らした神戸を離れ塾に入学し、約30年間東京に住み、震災後の平成8年社長に就任の為、神戸に戻って参りました。一応神戸市内に居を構えておりますが、国内に6工場・タイに2工場ある為、神戸に居るのは月のうち半分程度です。

私以外に妻・長男・次男が塾で学んでおり、愛塾精神溢れる一家であり、又公私共親しくさせて戴いている佐井君が会長をされているのですから、例会にもっと出席したいのですがタイミングがなかなか合わず幽霊会員的な存在に最近はなってしまっております。(内緒ですが佐井会長が塾高時代の慶應女子高のガールフレンドが私の妻の友人だったので、佐井君は私より先に妻と知り合っていたのです)

現在は冠婚葬祭・パーティー・ゴルフ参加が主な仕事で今年還暦を迎え、昨年長男が卒業して10年経ち我社に入社しましたのであと数年で会長になり残りの人生を妻と共に楽しみたいなと最近は思っております。昨日慶應大学野球部が11シーズンぶりに六大学で早稲田を破ったとの事で美酒を味わいました。フレー・フレーKEIO!

2010年4月号掲載

≪蔵書を贈呈するにあたって≫

上島 康男(昭33法)

私が会長を務めさせていただいた間、神戸慶應倶楽部を単なる親睦の集いでなく研修や情報交換の場として出席すれば何かを学び成長の糧となるよう運営しましたが、引き続き講演会の開催他、サークルでそれぞれに活発に活動されているご様子を拝し、頼もしき限りです。最近は読書サークル活動をされていると承り喜んでいます。

と云うのも今、情報の入手方法が多様化し、若い方々は大半がIT機器をツールとされ、文字からの知識吸収が敬遠されているとのことですが、私が一介のサラリーマンから起業し突然経営者に変身した時、全てが未知のことばかりで猛勉強をしました。

その一は、当然のこと乍ら私の意思決定の決め手にしたのは福澤諭吉先生の教えでした。その二があらゆるジャンルの講演を聞くこと、そして最も重視したのは体験談を学ぶことでした。従って日経新聞掲載の“私の履歴書”は今でも克明に読み、感銘を受けた箇所は切り抜いて参考にしています。そして自分の経営に生かせるように翻訳して実行しました。その三は先達の経営者の心構えや経営手法の著書を読み漁りました。従って私の書棚には全集から単行本までぎっしり埋まっていますので、何か倶楽部の読書会に役立てるなら寄贈したいと思っています。

しかし冒頭に申し上げたように若い方の読書離れの進む中、矢張り高齢者の思いとは大きなギャップがあると気づき、自分の体験が役立つとの考えはやや思い込みすぎだったのではと反省しています。倶楽部の部室は狭く、本棚のスペースにも限りがあります。贈呈するとしてももう一度洗い直す要があるので所蔵数こそ多いのですが、はたして会員の必要とされるものがあるかどなたか一度見ていただければと思っています。寄贈するなど云ったわりに何か大山鳴動して鼠一匹になりそうで内心忸怩たる想いですが、私は“人生とは人間修養の場である”との人生観をもっていますので、今でも生涯教養を高める努力を続けています。従って時代が変わっても読書サークル活動が今後共継続されることを期待して止みません。

≪北イタリアの自然と
田舎町を訪ねる旅≫

浅沼 清之(昭36経)

2009年9月2日から11日まで、北イタリアの、アルプス山麓にある、コーニュ村に5泊、帰路、パルマに3泊して、自然と田舎町を訪ねる旅に出かけた。関空からミラノに飛び、バスで、トリノ、アオスタ経由、コーニュ村に入る。この村は、グラン・パラディッソ国立公園の入口に位置し、素朴で美しい、アルプス谷間の村である。滞在中に、グラン・パラディッソ国立公園を散策したり、クールメイヨールまで出かけて、ロープウェイを乗り継ぎ、モンブラン山群と氷河の、雄大な景観を満喫したり、チェルビニアまで出かけて、名峰マッターホルンの、イタリア側からの姿を、展望した。イタリアではマッターホルンをモンテ・チェルビーノと呼び、ツェルマットから眺める姿とは一味異なっている。

「秋空を見上げ マッターホルン かな」 

「アルプスの大パノラマや天高し」。

アオスタは、コーニュ村から、車で40分くらいの所にあるが、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスがつくった街で、「アルプスのローマ」と呼ばれる程、ローマ時代の遺跡が残されており、歴史的にも興味深い。城壁内を守るプレトリア門は、紀元前一世紀の建造物である。ローマ門、半円形劇場などの廃墟は、修復されて、綺麗な姿を見せている。アオスタには、アグリ(農業)ツーリズモ(旅行)と呼ばれる、ユニークな体験型休暇プログラムを登録した、農家が、50軒程あり、農園を見学して、郷土料理や地元ワインを楽しむことができる。そんな一軒を訪れてみたが、農園の動物たちと遊んだりした後、陽気で家族思いのイタリア人が、素朴にサービスをしてくれ、ワインも美味かった。

コーニュ村に5連泊の後、バスで、トリノ、クレモナを経由、400キロ程移動し、パルマに3泊した。トリノは、ドーラ川とポー川の合流点に位置する、優雅な都市で、イタリア統一を主導した、旧サルディニア王国の首都であった。カルロ広場のカフェは、統一運動の志士達のたまり場であったという。その後、首都は、フィレンツェ、ローマへと移っている。

パルマ郊外のブセット村は、オペラの巨匠ジュゼッペ・ヴェルディーを生んだ町で、生家や、ヴェルディーがオルガンを弾いた教会がある。パルマの劇場で、ヴェルディー・フェスティバルが開かれていた。

クレモナはヴァイオリンの聖地として知られており、アントニオ・ストラディバリの制作したヴァイオリンは、名器として多数の存在が確認されている。ヴィオラやチェロも制作し、いずれも弦楽器時代の名器として、知られている。市庁舎のガラス戸に保管されたままで、高価な芸術作品の一部を見学できた。

「クレモナは楽器の聖地秋の旅」

パルマから100キロ程離れた、ボローニアを、最終日に、訪ねてみた。欧州一古い、ボローニ大学のある、学芸都市で、13世紀には、ダンテも学んでいた。サン・ペトロニオ教会等、重厚な中世の街並みが、落ち着いた雰囲気の中で、大変美しい。ボローニアの小高い丘の上にある、聖ルッカ教会の大聖堂では、荘厳なミサが行われており、山上からの眺望も素晴らしかった。

ヨーロッパの名峰と、古い田舎町を訪ねた10日間の旅は、神戸慶応倶楽部の、井上光さんご夫妻とご一緒させていただいたのであるが、ゆったりとして、心に残る旅であった。

2010年新年号掲載

≪四国八十八ヶ寺+別格二十ヶ寺
      ランニングお遍路近況報告≫

野田 敬二(昭58経)

平成19年12月24日に開始したランニングお遍路(順打ち八十八寺1,200キロ、逆打ち八十八ヶ寺プラス別格20ヶ寺1,400キロ、あわせて約2,600キロ)は、まず平成20年9月12日(延べランニング日数21日)で、順打ちを結願しました。

その翌月から逆打ちを開始する際、順打ちと全く同じ道をランニングしても飽きがくるかもしれないと思い、順打ちの際、参拝しなかった四国別格20ヶ寺も参拝することにしました。これが難行苦行の始まり。(1)順打ちとは異なり逆打ちのための標識が著しく少ない。別格霊場については特に標識が少ない。(2)別格20ヶ寺のお遍路道が狭くて険しい所が多い。猪や猿などと頻繁に遭遇する。(3)1ヶ寺2枚の写経に多くの時間を要すること等、疲労困憊の度合いもピークに達しました。

気分転換も必要と考え、本年9月9日、松山三田会の定例会(ホテルサンルート松山)と10月10日、四国連合三田会(高知パレスホテル)に参加させていただきました。その際、四国在住の多くの先輩方から大きな激励を拝受し、筋肉疲労がどこかに消滅してしまった気分になりました。四国でお世話になった方々には、平成21年1月、神戸慶應倶楽部での“お遍路さん”講演会のレジュメを後日郵送すると、大変感謝されました。

虫食い状態だった逆打ちお遍路ルートも讃岐・伊予・土佐の国を終え、阿波の国の遍路ころがしと呼ばれる、(1)焼山 (2)鶴林 (3)太龍も無事参拝し、残りあと19ヶ寺・100キロとなりました(平成21年11月9日現在)。あと30キロぐらいの旧蜂須賀家跡の徳島県庁には“慶應義塾跡の碑がある”と徳島慶應倶楽部の吉見会長から聞きました。地元では“慶應義塾の碑に祈願すれば必ず慶應義塾に合格することができる”という言い伝えがあるそうです。順打ちの際には、慶應義塾の碑を素通りしたので、逆打ちでは“参拝”する予定です。

以上、近況報告まで。