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2009年11月号掲載

≪50歳≫

木村 健(昭57法)

来月12月に満50歳になります。「人生80年」と言われる現代においては、50歳とは、いち通過点でしょうし、社会で元気溌剌とご活躍されている私の親の世代の大先輩や少し上の先輩の姿と接する度に、いまだに自身の未熟さや、若輩者であることを日々十分に認識しております。しかし一方で、私は「人生50年」と言う言葉を聞き育った世代ですし、「会社定年55歳」という時代に社会人になった世代でもあり、また、時代背景は違えど、今年の「NHK大河ドラマ」を彩った織田信長、上杉謙信、真田幸村は49歳で生涯を終えている、といった観点からも、未熟者ながら、50歳到達には、やはり感慨を持たざるを得ません。

私の育った50年間での世の中の変化について、折に触れて振り返った時に感じてきましたのは、「ヒトが精神的に、肉体的に、そして特に容姿において飛躍的に若返った」ということです。思いつくままにいくつかの例を挙げますと、アメリカの映画スター ゲイリー・クーパーが、1952年製作の名作西部劇「真昼の決闘」で老保安官を演じた時、彼の実年齢は51歳でした。人生の年輪が刻まれた容貌や重厚な演技に、「成熟した大人の男」という憧れを抱いたものですが、現在の私自身や、同世代の者、また俳優たちを見渡しても、あのクーパーと、ほぼ同い年になったという風貌を持つ者は見当たりません。

慶應義塾出身の大先輩である加山雄三(彼もお若い!)が主演した若大将シリーズで、彼のお婆ちゃん役を演じた飯田蝶子は、シリーズ第一作出演時に64歳でした。可愛らしく、誰からも愛されるお婆ちゃんを演じておりましたが、でも誰が見ても、容姿はお婆ちゃんでした。現在、64歳の大女優といえば、吉永小百合です。テレビコマーシャル等で毎日のように、お見かけしますが、彼女がお婆ちゃんでしょうか・・・。コメントは不要かと存じます。

コミックの世界でも、歴然とした例があります。1983年より掲載されました「課長 島耕作」の主人公・島耕作35歳は、昨2008年春に60歳となり社長就任しました。まさに現代の60歳を画にした、若々しいお洒落な風貌です。一方で、1946年より掲載されました「サザエさん」に登場する人物は、現在でもスタート時の年齢設定のままですが、サザエの父親の波平は、設定年齢54歳です。約60余年前の50歳代の平均的な男性像が波平なのです。島耕作60歳 磯野波平54歳・・・。

平均寿命が50年前と比較して、男女共に約15歳延びている日本では、特に若返りも進捗していると感じます。体格の変化、医学の進歩、ライフスタイルの変化、化粧品の進歩、ファッションの変化等々の数多くの要因に、多様な精神面の充足も加味して、日本は世界中でも飛躍的な若返りをしている国であると思っております。これは大変喜ばしい事であり、私どもの世代でも、まだまだ明るい未来を想像しますが、さて、そう浮かれていて良いのでしょうか?日本人が世界中で、世界一と誇ってきた「人間力」まで、若返り進捗してしまっているのでは・・・と、大いに気になっている部分も心に置きつつ、50歳を迎えようと思っております。(文中 敬称略)

2009年9月号掲載

≪健康アドバイス 後篇≫
−特定健診・特定保健指導に関連した私見−

間森 坦(昭38医)

わが国の成人男性の喫煙率は、2005年、40%以下になりましたが、若い女性の喫煙増加が大きな問題です。喫煙により、肺がんで死亡するリスクが男性で4.5倍、女性で2.3倍に高まり、咽頭がんで死亡するリスクは、32.5倍になります。

循環器疾患では、タバコを吸うことで、善玉コレステロールが減少し、動脈硬化が促進され、虚血性心疾患(狭心症、心筋梗塞)が、タバコが増えるほどリスクが増えます。しかし、禁煙で即時的な効果が現れます。

女性と喫煙では、喫煙で、皮膚の弾力が低下して、シワが増え、肌荒れ、白髪、脱毛、歯肉の着色などの老化現象が促進します。また、卵巣機能の低下がおこり、月経不順や早期閉経も起こります。妊婦の喫煙は、胎児発育遅延と早産、胎盤合併症、周産期死亡、流産などの増加があり、母乳分泌の減少もありますので、周りの人の喫煙(受動喫煙)の注意が必要です。

タバコの煙には、本人が吸う(主流煙)と、タバコの先から立ち昇る(副流煙)があります。タバコの煙の有害物質は、主流煙よりも副流煙のほうが、数倍から数10倍も多いことがわかっています。ニコチン2.6〜3.3倍、一酸化炭素2.5〜4.7倍、各種発がん物質100倍など、また。COPD(慢性閉塞性肺疾患)の主要な原因もあり、タバコは「百害あって一利なし」と言われています。

WHOでは、タバコの有害性に注目し、1970年以降、タバコ規制の推進を健康政策の最重要課題としてきました。日本を含めた加盟国により「タバコ規制枠組条約」が採択され、2005年2月に発効しました。日本も、タバコ税・価格の引き上げや受動喫煙の防止に努力すべきと思います。

次に酒のことになりますが、酒は飲む量で薬にも毒にもなります。適量の酒は、食欲をすすめ、ストレスを発散し、生活に潤いと活力を与え、善玉コレステロールを増やして心血管病を予防する良薬になります。しかし、酒の量が増え、継続するに従い、高血圧、心臓病、脳卒中、肝臓病、糖尿病などの生活習慣病が増加します。

一升の酒を連日飲酒すると、10日で100%脂肪肝になり、15年間続けると80%がアルコール性肝硬変症になります。現在、国民病と言われているC型ウィルス性肝炎と糖尿病の方は、飲酒で肝がんの発生を早めたり、糖尿病を悪化しますので、主治医に相談してから、酒量を決めて下さい。慢性的な過料の飲酒は脳委縮を起こし、アルコール性認知障害になったり、厄介なアルコール依存症になります。10代の毎日飲酒や女性の飲酒は早く依存症が現れ易いため、未成年は禁酒。主婦のキッチンドリンクは止めましょう。

諺に「酒は百薬の長」とあり、良薬になるように飲むために、アルコール健康医学協会の「アルコールの正しい飲み方10箇条」を引用記述いたしますと、

(1)楽しい雰囲気で飲む。
(2)酒の無理強いはしない。
(3)時間を掛けて飲む。
(4)食べながら飲む。
(5)飲酒量はビール1〜2本、日本酒1〜2合、ウィスキーダブル1〜2杯、
(6)夜12時以降はやめる。
(7)毎日続けて飲まない。
(8)薬剤と一緒に飲まない。
(9)強い酒は薄めて飲む。
(10)楽しみとして飲む。

となっています。

特定健診に関連して、長々と記述しました。医学が発展したとはいえ、予防法に勝る治療法はありません。多大な時間と費用と労働を要する特定健診・特定保健指導という国家事業が成功することを期待しております。

≪自己紹介≫

大竹 孝泰(昭53法)

この8月より神戸慶應倶楽部に再びお世話になることになりました、昭和53年法学部法律学科卒業の大竹です。前回の在籍中に大変お世話になった高橋洋三氏に紹介の労を執っていただいています。

1997年〜2000年にお世話になっておりましたが、九州に居を移したため退会。今回は妻の転勤で5月にこちらへ引っ越してまいりました。

職業は、国の発展途上国への援助(ODA)をお手伝いする開発コンサルタントで、以前に在籍していたときとは異なっていますが、当方にとってはこちらがもともとの仕事なので「復帰した」という感覚です。

援助の対象国に出張しないと稼ぎにならないため、発展途上国を中心に海外経験が豊富です。最近では、大統領選挙で揺れた復興途上国のアフガニスタンの仕事を終え、現在はパプアニューギニアでの仕事が中心です。アフガンの前はカザフスタン、その前が南スーダンで、アフガンとカザフスタンでは久しぶりに零下10度の世界を経験、南スーダンとアフガニスタンは内戦からの復興途上国というのが、最近のODAの傾向を反映しています。東南アジアが仕事の中心だった頃が懐かしい。

仕事の内容も軸足が、社会基盤整備のための建設プロジェクトから、人材育成やコミュニティー開発などへと移ってきています。パプアニューギニアでの仕事は、「コミュニティー開発アプローチによる社会発展を全国的に実施していくための人材育成」ということで、最近の中心的ODA事業の典型です。

専門は組織・制度の設計と経営、参加型計画のファシリテーター、コミュニティー開発、経済財務分析を含む事業評価など多岐にわたっていますが、基本的にはシステム的にものごとを把握して問題解決や改善を実現していくという手法をとっています。

趣味は音楽で、ロック・ジャズ・ポップス・クラッシックなどこれまた多様なジャンルをカバーしています。ギターを弾いて歌を歌うのが好きで、出張にもバックパッカーという旅行用アコースティックギターを持参しています。馬齢を重ねてしまっていますが、カプセルやパフュームが出張中の目覚まし音楽というような具合の人間です。

スポーツは社会人になってからはテニスをやっていましたが、今は昔になってしまっています。そのほか、ヨガや呼吸法などの東洋系の体を使う健康法は長年続けています。

東京生まれの東京育ちで仕事も東京からというような者ですが、慶應倶楽部の地元のみなさま、よろしくお願いいたします。

2009年7月号掲載

≪フランス聖地巡礼の旅≫

浅沼 清之(昭36経)

5月12日から19日まで、フランスのルルド、モンサンミシェル、リジュ聖地巡礼の旅に出かけた。
関空を発ち、シャルル・ド・ゴール空港経由、トゥールズ・プラニャック空港へ飛び、ルルドの修道院に3泊、パリに1泊、リジュに1泊、再びパリに1泊し、アムステルダム空港経由帰国する、8日間の旅である。

ルルドでは、日本から、神父3名、シスター1名が同行し、終日、聖ベルナデッタの道を巡礼、沐浴を行い、夜は、大聖堂前の聖域で「ろうそく行列」に参加、そして、聖堂でのミサと聖歌の毎日であった。

スペインとの国境の町ルルドは、ピレネー山脈の緑豊かな山々に囲まれ、鳥がさえずり、豊かな水量のカブ川が流れ、年輪を重ねた木々を、渡る風が心地よく、旅の疲れを癒やしてくれる。泉に湧きでる水は、ピレネー山脈から、数百年かかって、地下水として、湧き出ているという。

ルルドが、なぜ聖地といわれるのか。それは、ベルナデッタという少女が、1857年2月11日から7月16日の間に、体験した出来事から始まる。聖母マリアがベルナデッタの前に18度にわたって出現し、言葉を交わした、という事実が語り伝えられている。「聖堂を建てるよう、司祭に言いなさい」と、聖母マリアがベルナデッタに言われた後、礼拝堂がいくつも建てられることになった。クリフト(地下聖堂)はマリアの要請で建てられた最初の礼拝堂であるが、1866年に完成している。無原罪の御宿り大聖堂(上部聖堂)は700人収容でき、1871年に完成している。カブ川に沿ったマツサビエル洞窟は、ベルナデッタの前に聖母マリアが出現して以来、人々が祈りを捧げる場所となっている。マリアの指示によってベルナデッタが掘った所に湧出した泉は、病が癒えた例が無数にあり、カトリック教会から正式に「奇跡」として認定された事例も70弱ある。認定のためには、医学的な調査が極めて厳格であると言われている。つまり治癒は確かで、明らかで、医学的には説明不可能であることを証明しなければならない。150年の歳月が過ぎた今も、各国から老若男女、障害を持つ人等、多くの巡礼者がここを訪れて喜びに満ちている。聖母マリアの出現から100年を記念して、1958年に完成した聖ピオ10世地下大聖堂に入ると、世界最大規模の建造物の一つであり、2―3万人を収容できる大聖堂である。ノアの箱舟をイメージしたデザインで、地下にあるため静けさと安らぎの世界に吸い込まれていくように感じられた。現在のルルドの村は人口約2万5千人であるが、4−10月の半年の巡礼期間に300万人を超える人々が訪れると聞く。

「聖なるか ルルドの水に 風光る」

ルルド巡礼を終えて、ルルド駅から、T・G・Vで6時間かけてパリに移動し、翌朝バスで5時間かけてモンサンミシェルに向かう。ノルマンディー地方南部、ブルターニュとの境に近いサン・マロ湾は、ヨーロッパでも潮の干満の差が激しい所として知られ、このため修道院が築かれた小島は、かつては満ち潮のときには海に浮かび、引き潮のときには陸とつながっていた。19世紀に道路が造られ常時島へ渡れるようになったが、これが潮流をせき止め、砂が堆積し、島の周囲が砂洲化し、これをかつての姿に戻すべく地続きの道路を取り壊し、新たな橋を架けるべく国家的プロジェクトが現在始まっていた。

この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民が信仰する聖地であったが、8世紀になってオベール司教によって大天使ミカエルを奉る聖堂が造られたのが歴史の始まりである。10世紀にベネディクト会の修道院が建てられ、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めた。イギリスとの100年戦争の時代は、島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞の役割を果たしており、イギリス軍が残して行った大砲が残っていた。フランス革命時には修道院が廃止され、監獄として使用された時期もあるが、1865年から修道院として復元されている。

「天使棲む モンサンミシェル 春の潮」

モンサンミシェルを後にして、バスでリジュまで2時間半。フランスの農村風景がどこまでも続く。
夕方着き、宿泊して、翌朝リジュの巡礼にでかけた。聖マリア・テレジアが祈りを続けたペテロ大聖堂、聖テレジア巡礼聖堂、テレジアの生家等を巡り、カルメル会聖堂でミサに与かる。ミサを終えたフランス人神父が近寄ってきて、言葉は通じなかったが握手を交わすことになった。

午後バスで3時間ほどかけてパリに向かい、パリ市内を少し見物し最後の夕食会となった。翌朝帰国のためシャルル・ドゴール空港に向かう。

今回の巡礼の旅は、連日早朝から一日が始まるため、ご一緒した同級生の斎藤毅さんとも夜に杯を酌み交わす機会が残念ながら持てなかったのであるが、同行された神父、巡礼者同士の出会いと交流が印象深い、充実した旅であった。

≪健康アドバイス 前篇≫
−特定健診・特定保健指導に関連した私見−

間森 坦(昭38医)

平成20年4月から、糖尿病などの生活習慣病の発症を予防することを目的にした、特定健診(メタボ健診)が始まりました。日本内科学会などが、メタボリックシンドロームの診断基準を、

(1)ウエスト径85p以上(男)、90p以上(女)を肥満と判定し、
(2)空腹時血糖110r/dl以上、
(3)中性脂肪150rdl以上、
(4)血圧130/85以上であり、
これら4項目のうち、(1)の肥満が必須で、その他の2項目を満たす状態としました。

肥満は、インスリンの作用で、脂肪細胞に脂肪が増え、細胞肥大を起こした状態です。腹腔内臓器の脂肪細胞に脂肪が増えた「内臓肥満」は糖尿病、高脂血症、高尿酸血症、高血圧症などを発症し、更に、虚血性心疾患(狭心症や心筋梗塞)、脳卒中に進展するようになるため、内臓肥満の発生予防が大切であります。

慶應大学病院の消化器内科に在籍の頃、現在、消化器内科の名誉教授である、石井裕正君(昭和38年卒の同期)に継続して、肝疾患時の糖代謝異常をインスリン分泌や遊離脂肪酸の面から研究しました。その結果、肥満のある肝疾患症例では、脂肪肝や糖尿病の合併を高率に認めました。

35年前に、神戸で開業した頃は、肝疾患で最多のC型肝炎の診断法がなく、効果的な治療もありませんでしたが、最近では、確定診断ができ、抗ウィルス剤やインターフェロン療法により、高率に完全治癒ができるようになりました。しかし、食生活の欧米化、運動不足、アルコール多飲により、脂肪肝やアルコール性肝障害が、年々増加してきました。また、糖尿病が年々、増加を続け、わが国の糖尿病患者は1500万人以上になっています。合併症による失明が、年間3000人以上、医療費が月に50万円以上かかる新規透析患者が12000人以上、下肢切断患者が10万人以上であり、糖尿病の早期発見と悪化予防が必要です。
東洋医学には未病(未だ病になっていないときから、将来おこるかもしれない病気を予防しなければならない)という概念があります。メタボリックシンドロームの診断基準が、男性のウエスト径が85p以上とか、空腹時血糖110以上の基準が厳しいとの意見もありますが、早期発見して、悪化予防を重視した特定健診であり、私は、この基準値でよいと思っています。

特定健診問診表の中に、喫煙習慣と飲酒量の設問がありますが、タバコと酒は、多くの病気の原因になるため、厳しい事後指導が大切であります。
(後編は喫煙と飲酒にクローズアップします。ご期待ください。)

2009年4月号掲載

≪♪うたたま♪≫

徳丸 由里(昭55文)

「歌うことが好き!」という人でも、合唱となると「ちょっとね〜。」と思う向きが多いかもしれない。多少マニアックなイメージがあるのだろう。とは言え、佐渡裕さん率いる年末恒例の「一万人の第九」でも、歌い手が足りないという話は聞いたことがないから、愛好者が多いのも事実だろう。かく言う私もこの十数年、地域の合唱団に身を置いている。
練習は週一回。台風で警報が出ていようが、少しぐらい体調が悪かろうが、行く。這ってでも行く。朝、具合が悪くても、練習が終わるころにはすっかり元気になっていたりする。それだけ楽しいということだ。

合唱の一番の魅力は、大勢の人間が同じイメージを持ってひとつの世界を表現するということだろう。もちろんハーモニーの美しさは必須だが、それは曲を表現する手段だ。
例えば“茜色の空”という歌詞があったとする。これを、朝焼けと思って歌う人もいれば夕焼けと思って歌う人もいる、というのでは話にならない。詩全体から想像して、朝焼けなのか夕焼けなのか全員がイメージを統一しなければいけない。ここが、ソロで歌うのと大きく違う点だろう。ソロは、自分なりの自由な解釈で歌えばいいのだから。学生の合唱団などは練習時間がたっぷりあるので、皆で話し合って曲を解釈したりするが、大人の場合は時間の制約もあり、多くは指揮者に解釈が委ねられる。以前、三好達治氏作詩の「甃(いし)の上」という曲を歌った。「あわれ花びら流れ、おみなごしめやかに語らい歩み・・・」というこの曲を、指揮者は「私の中では、谷崎潤一郎の『細雪』のメージです。」と解釈した。すると私たち団員の脳裏には、桜散る中をしずしずと歩く美しい四姉妹の姿がくっきりと浮かび上がり、その世界を表現すべく、日々練習に励むのである。

この年になると、仲間と一緒に何かを造りあげる、という歓びは貴重だ。声帯は、人体の中で最も老化しにくい器官だそうである。せめて歌声だけでも、いつまでも若々しくありたいと思う。

≪歩いて巡礼すべき聖地への旅≫

手塚 祥平(平14法)

スペイン北西部・ガリシア地方に,サンティアゴ・デ・コンポステーラ(長いので以下「サンティアゴ」と略記します。)という町があります。サンティアゴには,聖ヤコブの遺骸が埋葬されたといわれており,ローマ・エルサレムと並ぶカトリック教徒の巡礼地として,世界中から年間数万人に上る巡礼者が訪れています。
私はカトリック教徒ではないのですが,学生時代から強くこの町に魅かれており,少し前に訪問することができましたので,巡礼のこと,この町のことなどをご紹介したいと思います。

旅番組等でも紹介されていますので,ご存じの方も多いかもしれませんが,古くから,フランスからスペイン北部を横断してサンティアゴに至る巡礼の道が整備されており(一部のルートは世界遺産に登録されています。),ピレネー山脈のあたりから800~900kmの道のりを徒歩で(!)目指す巡礼者が多いようです。
巡礼者は,サンティアゴ巡礼のシンボルであるホタテ貝を荷物にぶら下げ,各所に設置されたホタテ貝を目印にした標識をたよりに巡礼の道を進みます。巡礼の道沿いには,巡礼者用に格安または無償でベッドを提供する施設があり,利用した巡礼者は,そこを通過した証しとして,巡礼手帳にスタンプを押してもらいます。そして,サンティアゴに到着し,集めたスタンプによって,サンティアゴまで徒歩で100km以上,または,自転車で200km以上走破した事実を証明すると,巡礼証明書が発行されます。

私は,サンティアゴまでの往復の飛行機(スペイン国内線)と,大聖堂の正面にある,王立病院を改装したパラドールを自分で予約し,意気揚々とサンティアゴに乗り込んだのですが,夕刻到着したサンティアゴは冷たい雨に包まれており,しかも,スーツケースがなぜか搭乗機に積まれておらず,到着が遅かったため着替えの服を買うこともできず,巡礼の苦難を省いたことに天からお叱りを受けてしまいました。
サンティアゴの町は空港から車で20~30分ほどのところにあるのですが,大聖堂周辺の旧市街は一般車両が進入できないため,鐘の音と人々の声だけがする,とても静かなところです。旧市街では,日本人を含め,アジア系の旅行者はあまり見かけず,楽しそうに歩いている欧米系の観光客と,髪が伸びて靴もぼろぼろになった状態で,ベンチや階段で,ホタテ貝をぶら下げた荷物と杖を置いて一息ついている,一見して長い距離を歩いて来たとわかる巡礼者が多かったように思います。

大聖堂では,巡礼者のためのミサが毎日行われており,私もミサの最中に大聖堂の中に入りました。大聖堂の外観も中の雰囲気も,西欧の大都市にある大聖堂のようなきらびやかなものではありませんが,敬虔な巡礼者が静かに信仰を深めることができるような,とても厳かな雰囲気がありました。聖堂の中には,ようやく目的地に到着した感動を噛みしめて涙している巡礼者がたくさんいて,また,それまでは懺悔室というと空室の状態しか見たことがなかったのですが,多くの懺悔室の中から懺悔の声がしており,驚きの連続でした。
ミサの中では,天井から太いロープで吊り下げられた,銀色の大きな香炉が,大聖堂の端から端まで振り子のように振られ,聖なる香りが聖堂全体に振りまかれるという一コマがあり,その様子を座って観ていたときには,的確に表現することは難しいですが,魂を揺さぶられるような,けれども何か癒されるような,そんな感覚を覚えました。
そのような荘厳な雰囲気に満ちている空間でしたので,カトリック教徒でない一旅行者の身で,聖堂内の奥まで拝観することを躊躇したこともありましたが,結局,拝観可能なところはすべて観てきました(笑)。

スペインのツアーといいますと,サンティアゴが組み込まれたものはあまり見かけませんが,大聖堂を中心として,他の観光地では味わえないような雰囲気がありますし,海産物中心の料理やガリシアワインも日本人の口に合いやすいかと思いますので,一度巡礼(訪問)されてみてはいかがでしょうか。

2009年新年号掲載

≪あいたい兵庫デスティネーションキャンペーン≫

中内 仁(平1商)

新年明けましておめでとうございます

兵庫県は本年4月〜6月JRグループとタイアップして「あいたい兵庫デスティネーションキャンペーン」で全国から観光客の誘致を図ります。デスティネーションとは、目的地という意味ですが、日本全国から観光のため兵庫県を訪れていただこう、そのためには県下の各観光地やバスやタクシーそして宿泊施設が連携してお迎えしようという企画です。30年前の第1回は和歌山県で1978年11月に企画・実施され、その後山口県で開催された時のキャッチフレーズ“おいでませ山口へ”は一世を風靡し、集客観光の一大キャンペーンとして多くの旅行者を集めたことは皆様ご存知のとおりです。兵庫県での実施は30年での歴史で初めてです。昨年秋に集客観光施設の有志で、話題になりました丹波竜(草食恐竜)の化石展示施設や丹波・篠山城跡、また姫路城やハリウッド映画「ラストサムライ」のロケ地である書写山 園教寺等を二度に分けて訪問しました。近くに住みながら初めて訪れるところも多く、今回の体験で知らない、あるいは知られていない面白いところが、まだまだたくさんあることがわかりました。

「あいたい兵庫デスティネーションキャンペーン」を機会に私たち自身も再度、兵庫県の魅力を再発見し、訪ねて下さる多くの方々にその楽しさ・面白さをお伝えすることは、とてもよいことと考えております。旅行者の皆様と地域の方々との交流が今後の兵庫・神戸へのリピーター作りに繋がっていくことを心から期待しています。今回のキャンペーンを通じて集積される地域や集客観光に携わるもの同士のネッワークは兵庫県の財産になります。

神戸慶応倶楽部の皆様方におかれましても、是非この機会に県外のご友人、お知り合いの方々へご来神、ご来県をお声掛けいただければ幸いです。本年も引き続きご支援ご指導賜りますよう何卒宜しくお願い致します。

≪我が家先祖の「西玉水」について≫

石崎 雄三(平9経)

先日、我が家の倉庫を掃除しておりますと、今は他の方に譲りましたが、父方の祖母の実家が経営しておりました鯨料理の「料亭 西玉水」の食器や色紙などの資料が出てまいりました。西玉水とは、明治18年に大阪の新町にて創業した元祖・鯨料理専門店です。現在は、昭和35年に島之内に移転しており、4代目当主の乾誠治さんが経営されております。

牛肉が貴重だったその昔、庶民の食卓にのぼる肉は硬く臭みのある鯨肉だったそうです。

そこで、私の先祖である創業者石崎宗太郎が鯨肉を美味しく食べられるよう「はりはり鍋」や「狩場焼」を考案したそうです。狩場焼とは、醤油とみりんと山椒のたれに漬けたものを焼いた照り焼きのようなもので、その名の由来は、明治天皇が京都で狩りをされたときにお召し上がりになり「これは狩場で食べたほうが似合う」と称賛されたことから名づけられたということです。

倉庫から出てきたものには、菊のご紋がついている漆器やお盆、皇族の方や海軍大将がこられたと思われる写真や色紙などが出てきました。西玉水の看板でもある鯨が潮を吹いた大きな画も出てまいりました。

鯨料理にはあまり良い思い出がないと言う方もいらっしゃるとは思いますが、元祖鯨料理を食べに一度行かれてはいかがでしょうか。