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2003年12月号掲載

書籍紹介
「文武両道、日本になし!」

高田 育明(昭51医)

映画ターミネーター3を見ました。確かにおもしろい。その主演男優のシュワルツネガー氏がカリフォルニア州知事に選出されたことを聞き、日本人としてはある種の“違和感”を感じました。
しかし、彼は、ボデービルダー、ウイスコンシン州立大学卒業(経営学)、成功した企業経営者などの多方面の才能を見せております。この“違和感”に回答を与えてくれる書籍を、ある先輩が教えてくれました。

「文武両道、日本になし−−世界の“秀才アスリート”と日本の“ど根性スポーツマン”」
マーテイ・キーナート著 加賀山卓朗(訳)早川書房(2003年4月10日初版) 

Where are the Scholar-Athlete? −−はるか昔、“文武両道”という言葉は、学芸と武芸の両方に秀でていることをさした。しかし、今日この言葉は、一般に学問とスポーツ両方に優れた人物をさす。海外では一流のスポーツ選手から医者や弁護士に転進した“文武両道”の秀才アスリートが数多く存在する。

一方、日本ではどうだろう?
一つのスポーツか一つの学問にのみ身を捧げ、そのことを誉めたたえる奇妙な“美徳”がありはしないだろうか?古臭く、柔軟性のないシステムが“文武両道”の可能性を秘めた子供たちの芽を摘み取ってしまっているのではないか?テレビ等でお馴染みの日本在住のスポーツ・ジャーナリストが、世界の“秀才アスリート”の横顔を紹介しながら、日本の教育・スポーツ制度の抱える問題点を指摘する辛口エッセイ。

キーナート氏は言う、本物の“秀才アスリート”は、日本で例えれば、甲子園野球のスター選手というだけでなく、その後プロ野球選手としても活躍し、それに加えて東大などに入り、医師や、弁護士、歯医者、エンジニア、科学者などにならなければならない。スポーツと学業の両方で頂点に立って、初めてトップレベルの秀才アスリートをいえる。

著者:マーテイ・キーナート 1946年ロサンジェルス生まれ。スタンフォード大学卒業。流暢な日本語を生かし、テレビ・ラジオでプロ野球・大リーグ解説をするかたわら、スポーツを通じて日本と海外の文化、国民性の違いなどを論じる評論・講演活動を行っている。

独蘭音楽紀行
 (旅行記特集3)

藤井 文明(昭39工)

39年と少しの会社生活をこの6月に卒業したので、久し振りに家内と二人で欧州への旅行をしました。今回の目当ては、自宅でホームステイとして預かった二人のアニタ(一人はドイツのライプツィッヒ、もう一人はオランダのライデンに夫々在住)に会うことと、本場の音楽を聴くことに集中して訪問場所を決めました。

最初の訪問地ドイツ南部の町ガルミッシュ・パルテンキルヘンまで、わざわざ500kmの距離を列車で駆け付けてくれた大学生のアニタ、ライデンの運河沿いの家に三日間泊めてくれた今年40歳になるアニタに再会を果たし、夜のふけるまで楽しかった神戸での生活のことなどを話し合いました。

次は音楽ですが、丁度ドイツのボンで開催されたベートーベンフェスティバルでの室内楽によるマーラーの4番を手始めに、ベルリンでベルリンフィルとポルリーニ、アムステルダムコンセルトヘボウでオーケストラと合唱によるミサ曲、アウクスブルクではオペラ・リゴレット、フランクフルトでビオラ独奏と管弦楽によるイタリアのハロルドなどを楽しみましたが、なんと言っても最大の喜びは、古くからのババリア人(ドイツ南部のババリアに住む人達は、自分達はドイツ人ではない、ババリア人と呼んでくれとかたくなに言います)友人夫妻が、我々二人だけの為に用意してくれたロマンチック街道の町の一つ、ネルトリンゲンの古い教会の、200年前に作られたパイプオルガンによるプライベートコンサートでした。演奏する友人ゲッツ氏は、飽きたら外でコーヒー飲んでていいよと言ってくれましたが、演奏時間1時間半があっという間に過ぎてしまう感じでした。

来年以降には、今回行けなかったウィーンを目指すつもりです。ウィーンにも震災時に神戸のドイツ領事館にいて、今はウィーンのドイツ大使館に外交官として勤務されているオットさん(若い女性)を訪ねて、これまた本場の音楽を楽しむつもりでいます。どなたかドイツ語の堪能な方がご一緒して頂けるとうれしいですね。

2003年11月号掲載

アルバムMy Romance の誕生

福井 有(昭49商)

音楽の三要素といえばリズム、メロディーとハーモニーだが、私はそれに加えてワードつまり歌詞に興味をもって長くポップスやジャズを聞いてきたように思う。
そしていつかオリジナルの歌を歌ってみたいと念じていたので、思い切ってアルバムを録音することにした。
ジャズピアニストの十川尚子先生に毎月1回のペースでボーカルレッスンを習い始めて丁度1年ほどたった頃、練習課題曲に日本語訳のスタンダードナンバーを選んでみた。それから月1回のペースで訳詞を仕上げていくのが楽しくなりいつのまにか7曲貯まった。

そんな最初の練習曲が“I wish you love” だったと思う。この曲は小野リサのベストアルバムのバージョンが好きで、車の中で何度も聞いているうちに自然に日本語訳が出来てしまった。よく歌詞を聞いていると恋愛ではなく、失恋の歌だという事に気がついたりした。

最も古く作った歌は“Fly me to the moon ”で、これは東京の学生時代下宿でギターを弾いてよく歌った曲。これもいつのまにか訳が出来ていた記憶がする。したがって他の6曲とは30年ほど作詞の時期にへだたりがある。
アルバムのタイトル曲にした≪My Romance≫は1935年のリチャード・ロジャース作曲のラブソング。今から70年程前のものとは思えない美しい曲でローレンツ・ハートの詩の内容も殊のほか素晴らしい。

日本語にしてみて「僕の愛は君だけ」なんてことを平気で言える人は、なかなかいないんじゃないかとつくづく思った次第。
録音は春日野道のSAM神戸スタジオで小雨の降る中、1日通しで行われた。
十川先生はじめお世話になった方々に厚くお礼申し上げます。
曲目紹介ほか詳細はhttp://otemae.net/sound/sound.htm

江田島を訪ねて
 (旅行記特集2)

浅沼 清之(昭和36年経)

10月に江田島の海上自衛隊を訪ねる機会がありました。江田島は、風光明媚な広島湾に位置し、東は呉市に、北は広島市に、西は名勝安芸の宮島に相対し、南は能美島に連なり、音戸大橋を経て呉市に通じています。海軍兵学校が、明治21年東京の築地から江田島に移転されて以来、アメリカのアナポリス、イギリスのダートマスと並び、世界に知られるようになりました。昭和20年終戦により、約60年の幕を閉じています。

現在は、幹部候補生学校や術科学校、海上自衛隊江田島病院が開設されています。海軍兵学校時代には、天皇の名代として宮様の御臨席のもと、厳粛に入校式や卒業式の儀式が行われた大講堂や、幕末から第2次世界大戦までの海軍関係者の遺品や若き特攻隊員の遺書が展示されている教育参考館を見学すると、胸を打たれるものがあります。
明治22年、旧海軍の地方機関として呉鎮守府が開庁し, 司令長官には32代にわたり大将や中将が歴任したわけですが、司令長官官舎は国の重要文化財に指定されて、呉市入船山記念館に現存しています。

潜水艦「ふゆしお」にも乗艦することができました。ミサイル発射指揮装置等、科学技術の粋を集めて建造された優れた国産潜水艦を見学すると、水上艦とは異なる役割が実感できました。4面を海に囲まれた日本は、経済活動や生活基盤となる物資が海上輸送に依存していることを考えると、海上交通の安全確保が極めて大切であることを改めて認識した次第です。

海上自衛隊見学の後、世界文化遺産の宮島を久しぶりに訪ねて帰神の途につきました。

2003年10月号掲載

欧州旅行記
 (旅行記特集1)

芦原 直哉(昭50経)

独立して自由の身になったのを機会に毎年海外視察に行くことに決めました。ローカルな事業経営者としては、長く会社を開けることができず、ここ数年海外はご無沙汰でした。

昨年、娘の誘いで香港に行ったのがきっかけとなり、日本に閉じこもっていたのでは、視野が狭くなると強く感じたのです。8年間にわたる単身赴任の穴埋めという目的もあります。娘とは毎年必ず1回は一緒に行こうと決めました。今回も娘とプラハ、アムステルダム、モナコと欲張りな計画を立て、二人で気のおもむくままの気軽な旅行を楽しみました。

プラハはヨーロッパの古いたたずまいを残した美しい町です。英語でほとんど通じますので言葉の苦労もありません。しかし、電車のチケットの買い方を間違えて罰金を払わされるというハプニングがありました。アムステルダムも美しい町ですが、古い教会は既に教会としては使われず、展示場などになっていて少し興ざめです。駅周辺等では観光客を狙った物乞いなどがいて常に緊張感を持って歩かなければなりません。

最後は、モナコです。以前、例会でお話をしていただいたエリザベスさんがPNBパリバ銀行からEFG銀行に転職されてモナコに赴任されており、彼女から「美しい国ですからぜひ一度いらして下さい」とお誘いを受けていたのです。EFGのオフィス(元オナシスの別荘)や王宮などをご案内いただきたいへんお世話になりました。やはり、 
海外へ行っても三田会はありがたいですね。

優雅なホテルのプールサイドで地中海を一望にしながら横たわっていると、時がゆったり流れているなという何ともいえない至福の時間を過ごすことができました。仕事の関係でもこの秋は海外へ出ることがありそうです。そして、来春はベトナムにしようかオーストラリアにしようかと娘と計画を立てている今日この頃です。

再び北へ
 (旅行記特集1)

徳丸 公義(昭54商)

今年もまた、かつての青年は荒野を目指すことになった。
家を出てから4日目の午後、僕はいま北の大地の風となり、北海道の旭川から国道40号線を最果ての地へ向けて走っている。そこには哀愁とロマンがある(はずだ)。広めの2車線の道路がまっすぐに伸び、左右にひろがる田園地帯や森がやはり同様に直線で続く。そして大空もこれらに負けることなく彼方まで広がる。そこは、完全な遠近法の世界。はるかかなた6km先にヘッドライトをつけた車が見える。これが広大な大地の懐の深さであり、道を走るだけでも心地よい。ひたすら走る僕を時間が追い越してゆく。今日はサロベツ原野を陽が沈む前に見たい。ただそれだけ。士別そして名寄を過ぎたあたりから左右に広がる金色のじゅうたんが途絶える。どうやら稲作の北限を超えたようだ。

音威子府から景色が一変した。左右の田園風景は、深い森にかわり、道の両側にそそり立つ。天塩川を右に左にみながら進む。しかしこの豊かな水量はどうだろう。鮭や鱒が群れなし川をさかのぼる姿が目に浮かぶようだ。速度計はぴったり時速85kmをさしている。それでも時々後ろから元気な車が抜いていく。

大地をいくら走れども決して飽きることはない。汲めどもつきぬ面白さがそこにはある。陽が大分傾いたころようやく日本海が見え始めた。左手からの夕日が大空を赤く染める。いよいよサロベツ原野地帯に入った。そこでは人間の手の入らない原野が延々と続いていた。枯れたアースカラーばかりが目に入る不気味な沈黙の世界が広がっていた。これがサロベツ原野か・・・。一人旅の夕暮れ時にはさらにさびしい風景だ。
明日は旅の最終日。北の最果て宗谷岬を経て千歳空港までの長い道のりが続く。
(編集部注:‘02.9月号に第1弾掲載)

2003年9月号掲載

ヨーロッパアルプスの山歩き

淺沼 清之(昭36経)

7月末から2週間ほど、ゼミOB会のメンバー5人で、フランスアルプスの、ヴァノアーズ山群やエクラン山群の国立公園を、レンタカーで移動しながら、山歩きと高山植物を、楽しんでまいりました。

フランスアルプスというと、日本ではシャモニー・モンブランのイメージが強すぎますが、モンブラン山群から南に向かって、地中海までのびるエリアには、ヴァノアーズ・エクランという二つの国立公園の周辺に、荒々しい岩山、雄大な氷河、そして高山植物の花々が咲く、スケールの大きい山岳地帯が広がっています。懸垂氷河をバックに、伝統的な木と石の山小屋の集落や、バロック様式の教会、牧草地、森林、そして滝や湖の美しい姿を、堪能することができます

。峠を越えた谷同士の連絡が,難しいため,村ごとの独自の文化が,形成されているのも興味深く、開発が遅れて今でものどかな農村景観が色濃く残っています。この山岳地帯を訪ねるためには、公共交通の便があまり良くないため、レンタカーがもっとも効率的と思われます。

パリのリヨン駅からTGVに乗って、シャンベリー駅まで行き、駅前でレンタカーを借りて、ハイキングコースのベースタウンとなるプロラニアン、ヴァルディゼール、ラ・グラーヴ、ブルドアゾン、ブリアンソンといった山村に1・2泊しながらの山歩きでした。スキーシーズンの雪景色のアルプスとは全く違う感動がありました。

最後に、ゼミの先輩が在住しているニースに向かって、山岳コースを眺望を楽しみながら南下し、1000キロを超えるドライブ旅行となりました。コート・ダ・ジュールでは、モンテカルロやサンレモ等のリゾートで3日間息抜きをし、ニース空港からパリ経由帰国の途に着きました。

トラファンの胸のうち

長谷川 登喜(昭46文)

今年のプロ野球も残すところあと30ゲーム余り。トラファンにとってこんなに心地よく晴れがましい年はない。模擬テストのたびにがっかりさせられた出来の悪い息子が急に偏差値90になったようなもの。
トラファンも貯金が40なんて経験したことないものだからどれだけすごいのやらわからない・・・

今年はシーズン前から前評判は高かったが毎年5月の連休でシーズンは終わってしまうタイガース、去年の6月も・・・と不安におびえながらも6月、7月と大進撃。マジックは出るしXディはいつ?と我が家も8月30日、9月6日、15日と甲子園のプラチナチケットを入手してXディの大予測。いや〜この分じゃ8月中だ、いや9月6日じゃないかな、15日は完全に消化試合だね、などと毎日毎日タイガース談義で盛り上がりビールの量もついつい増える一方。

でもとうとう来ました。Vロードか、はたまた死のロードかと言われたこの8月、我がいとしのタイガースはいつもの猫のようなトラになってしまった。でもこれは早く決めたらお客が入らなくなるから調整してるんだ、否、日本シリーズのために看板選手を休ませてるからだなどと都合のいい言葉に、うんうんせっかくのお楽しみ、ウ〜ンと長いこと楽しんだらいいんだわ・・・と言い聞かせ今日もまたビール片手にナイター観戦です。

2003年8月号掲載

古希を迎えて・雑感

上島 康男(昭和33法)

私も今年で古希を迎えました。同期の友人はまだまだ政・財界他の第一線で活躍していますが、残念乍ら大学の同じクラスの友人は、会長職で数人残っていたものも、流石にこの6月末で全員が現役をリタイヤーしました。

私の長年の畏友で、新赤坂クリニックの院長の松木康夫君が、盛大な古稀の祝を東京で開催しましましたが、私が欠席と連絡すると「余生堂々」と云う著書を送ってきました。この本は、「余生を黄金の人生にする為に」とのサブタイトルがついているだけにとても興味深い内容の本でした。

彼は以前に人生は「P.P.K」即ち「ピンピン生きてコロリと死ぬ」のが理想。しかしそれだけでは味気ないので「M.M.K」即ちモテテ、モテテ困る。但し女性だけではなく、多くの人から好かれ、したわれる人生が望ましい。この本では「T.M.H」が加わり、若い時は、健康(H)にも恵まれ、時間(T)もあるが、金(M)がない。壮年には健康も継続、お金の余裕も出来るが仕事に追われ時間がない。余生を送るようになった時この「T.M.H」がそろうので、余生こそ人生の黄金時代とすべきだと書かれています。

余生を「黄金の人生」にする「5つのリッチ」は、(1)マネーリッチ、(2)タイムリッチ、(3)フレンドリッチ、(4)ホビーリッチ、(5)ヘルスリッチだとのことです。
今年の年頭の座談会で兵庫県公安委員長の(株)ノザワ最高顧問野澤太一郎さんが、どなたかのご説だったがと、断わられ乍ら、良い人生を送る為の6カ条を述べておられましたので、ご披露しますと、リタイヤーしたあと、(1)身分相応の金のあること、(2)健康であること、(3)良き人間関係のあること、(4)美しいものを鑑賞する心のあること、(5)毎朝起床してその日の行動予定のあること、(6)困難に対処してゆく能力のあること、この6つで、松木君の意見と(1)〜(4)は同じです。

私も同感で、これに“常に感謝の念をもつこと”を加え、これからの人生を過ごしたいと念じております。

パリ祭

合掌 一郎(昭30政)

パリ祭。 フランスから輸入された映画の題名“7月14日”をパリ祭と訳した配映会社には全く頭が下がります。この日はフランス革命記念日、ご存知の様に全土で華やかな式典が繰り広げられます。日本でも全国でパリ祭が行われ、私もこの時期一年で最も忙しい毎日を送ります。

私はシャンソンの本場パリより、毎年有名歌手を招き、在関西のシャンソン歌手と合同で毎年パリ祭を行っています。
1998―ジャクリーヌ・ボワイエ、1999−ジャクリーヌ・ダノ、2000−アンヌ・リーズ、2001−フランセスカ・ソルヴィル、2002−ジャクリーヌ・ダノ、そして今年は再びアンヌ・リーズとNHKテレビでフランス語を教えているギタリストでありシャンソン歌手のドミニク・シャニオンを迎えて行いました。私主催のパリ祭はこれまでに、“神戸パリ祭ディナーショー”・“京都パリ祭”・“和歌山パリ祭”、そして昨年は大阪で行って参りました。今年は神戸・京都・大阪を一つに絞ってNHK大阪ホールで“第4回わたしたちの大阪パリ祭”として開催いたしました。

シャンソンを通じて日仏の交流を深め地盤沈下が言われています関西の活性化に少しでも寄与する事を願っております。
シャンソンは人生を歌い、人の心を歌います。近年シャンソンに魅せられる人が増え静かなブームになっています。先日もサンテレビに出演してこの事について話しましたが、この荒んだ世の中に安らぎを求める人が増えている事だと思います。特に女性は歌の中では18才の彼も待てますし、悲劇の女王、激しい恋に身を焼く自身を演じるなど変身出来る事が大きいと思います。

どうかこのパリ祭をいつまでも続けていけますようご鞭撻、ご支援をお願いたします。

2003年7月号掲載

愛犬同伴ホテル・ペロはまなこ

三上 元(昭43商)

神戸に住んで20年になるのに、最近やっと会員になった者です。第三の故郷が神戸で第二は東京、第一の故郷は生まれて18年過ごした浜名湖です。

昨年4月に、浜名湖周辺の同級生人脈に声をかけ、30人を超える仲間が出資をしてくれて、8室のプチホテルを浜名湖に開業しました。普通のホテルではなく、愛犬と泊まるホテルです。ブルーガイド社ムック「ペットと泊まる宿」にも広告を載せ、ホームページも開いています。(http://www.perro-h.com/)ペロとはスペイン語で犬の事です。

私が 社長の役ではありますが、神戸に住み経営コンサルタントとして全国を走り回っていますので、支配人はインターネットで公募し、35組中から選んだ若夫婦が務めています。小泉流まる投げの経営スタイルです。
特色は、目の前が浜名湖(500年前から実際は浜名湾と言う方が正しい海水)で全室オーシャンビュー、ウッディーな内装と広い窓と高い天井のリゾートムードのプチホテルです。ワンちゃん専用のプールと200坪のドッグランが隣りにあるのが魅力です。

東名高速・浜名湖サービスエリア(三ヶ日インター)から車で20分ですが、神戸から浜名湖までが4〜5時間かかってしまいます。東京からも同様な時間を要しますが、人気のテレビ番組“ポチタマ”に4月登場した事からお客様が少しずつ増えてきました。ナイヤガラのカナダ側でコックをしていた料理自慢も人気のひとつです。
基本理念は「友、遠方より来たる。また楽しからずや」と大切な友をもてなすところです。並な料金で、少ししゃれたサービスのプチホテルなのです。お待ちしてます。

全国大学三田会のご案内

松岡 美佳(昭60文)

2003年6月1日、全国大学三田会会報「三田アカデミア」創刊号が発刊されました。
安西塾長の「待望の大学三田会に期待する」というタイトルの巻頭言、そして、わが神戸慶應倶楽部の福井 有先輩や安永利啓先輩が堂々と登場!!(恥ずかしながら、なぜか松岡の拙文も)

会員として、大学関係者をはじめ、美術館、博物館、図書館、新聞・TV等報道ジャーナリズムで活躍される塾員を募集しています。会長の濱野 成生先生(日本女子大学教授)は、今後の抱負として、「会員諸君の著した立派な学術書や日本を動かすような評論、感動的な著述を奨励し、紹介していけること。学術面での大いなる成果を報告していくこと。安心して働ける職場への情報の提供が出来ること。共同執筆者のリクルート。喜怒哀楽を互いに忌憚なく語り合える機会を持つこと」と書かれています。また会員の専門分野を一覧表にまとめて、各三田会からの講演の申し込みに応えることについても、徐々に整備していこうとしているとも。

もし当会にご興味のある方、さらに詳細な情報を入手希望の方がいらっしゃいましたら、松岡までご一報ください。

2003年6月号掲載

教えることは学ぶことと
見つけたり

芦原直哉(昭50経)

村上功先輩のご推薦により名古屋商科大学で教鞭をとってはや2ヶ月が経ちました。準備に追われ、自分の仕事の合間を縫っての授業はとても大変ですが、新しい刺激に快感を覚えております。

学生は我々のころ(学生運動末期)と比べてとても大人しく、私語もありません。ただ、眠っている学生はおります。しかし、叱ることはしません。寝るのは私の講義がつまらないからであり反省せねばなりません。寝ている子が多くなったら、なるべく興味をそそる実例を交えて話すようにしています。学生は実社会にとても興味を持っています。講義の後、質問などをしてくる学生やノートをしっかり取っている学生はやはり可愛くなります。名前を覚えてよい点数を与えたくなるのが人情ですね。自分も学生時代に教師のこの気持ちが解れば苦労しなかったのに・・・。

これまで実社会で経営をしておりましたが、今回改めて理論を勉強して自分の経営を体系だって見直すことができたことは私にとって大きな収穫でした。学生時代よりも勉強したと言っても過言ではありません。「人に教える」と言うことは教える側にとってもとても勉強になるものです。企業でも先輩が後輩に教えるというシステムはその過程において双方の能力やスキルが上がっていくのだと身をもって実感しました。
余生は教鞭とコンサルティングを通じて社会に貢献したいと思っております。

2003年5月号掲載

ヤホンアートギャラリージャパン

西郷-Webber 清美(平7文・通信)

私は昨年3月に退職した。いままで一度も手を抜いて仕事をしなかったので、全く後悔はない。  善悪の判断が正常にできるうちに、一刻も早く職場を去りたかった。

47歳の再出発であった。化粧をするのもやめた。鏡に映し出された素顔の47歳の自分を再確認し、もうさんざん嫌な体験をしたのだから、残されたこれからの人生を楽しみながら働こうと決心した。

この20年間、短期大学の教員しかしたことのない私が、インターネットで画廊を立ち上げた。 マレーシアのペナン島にあるヤホンアートギャラリーのお手伝いである。バティック(ろうけつ染め)絵画の第一人者で人間国宝の巨匠・テン(89歳)の絵画に魅せられてのことである。毎年ギャラリーに通い続けて、14年が経過した。テンに信用された初めての日本人としての誇りを持ち、すべて持ち出しの再出発であった。

机上のビジネス論しか知らない私には、実際のビジネスは非常に難しい。ただ大好きなバティックアートの世界をご紹介できるだけで、私は大変光栄である。どんな嫌なことがあっても、バティックアートは私の心を癒してくれた。すべて手作業による絵画は、いつも私の心を和ませてくれた。この夏からは芸術性を保ったコピーの絵画を低価格で発売予定である。どうぞ私がいままで大切にしてきた宝物をご覧くださいませ。
http://www2.odn.ne.jp/yahong-japan

Dr.高田の書籍紹介

高田育明(昭51医)

「ハードボイルドに生きるのだ」向井万起夫:著
(講談社:平成15年3月25日発刊)

今回は、私の親しい先輩・恩師である“宇宙飛行士向井千秋の亭主”向井万起夫先生の男のやせ我慢とこだわりの知的な日々を描いたエッセイ集です。
宇宙飛行士のデーター分析、古くからの大リーガー通としての著者の独特のデーター分析がおもしろい。イチローの2001年首位打者獲得をデーター分析により予言していたことは興味深い。

著者紹介:向井万起夫 1947年東京出身、慶應義塾大学医学部助教授、医学博士、興味深い著書として「君について行こう」、「続・君について行こう 女房が宇宙を飛んだ」(講談社文庫)、向井千秋との共著「4001の願い」(文藝春秋)

ご一読いただければと紹介させていただきます。

みどりの日コンサート

藤井文明(昭39工)

4月29日に、恒例になった「みどりの日コンサート」が大阪福島のザ・シンフォニーホールにて開催され、藤岡幸夫(当倶楽部会員・昭60文)の指揮、関西フィルハーモニーのオーケストラで、ショスタコービッチのシンフォニー第5番「革命」など3曲を演奏した。

青戸統子様がカルロス・クライバーのようなと表現された力強く流麗でもある指揮振りは、彼が世界の一流に仲間入りした証と言えよう。コンサート終了後JR福島駅すぐ前のホテル阪神地下1階にあるイタリア料理店「トリトン」にて「藤岡幸夫を囲む会」が開催され、彼の後援会会員中心に友人・知人が集まって食事を共にし、一緒に写真を撮ったりサインをして貰ったりと休日の夕刻を楽しく過ごした。
(後援会事務局長)

2003年4月号掲載

近況報告

金田政也(昭58経)
(東京在住会員)

神戸慶應倶楽部の皆様、ご無沙汰しております。
当方、平成12年4月に神戸から東京に戻り、はや3年が経過しようとしています。
毎月送られてくるBRBで、皆さんが楽しく活発に交流されている様子が伝わってきて、とてもうらやましく思っております。
関西合同三田会の誘導係として、大澤先輩・堺先輩・茂木立君と一緒に活動したことを懐かしく思い出します。私は現在東京都東久留米市に在住しておりますが、東久留米市に三田会がないため、お隣の西東京市の三田会に平成13年に加入しました。

東京の多摩地区は早稲田OB・OGが多く、稲門会は各地で活発に活動していますが、慶應はいまひとつ、という状況が続いていました。
しかし、一昨年は国立三田会、昨年は国分寺三田会が発足し、多摩地区も三田会が増えてまいりました。このため、西東京三田会の会員で東久留米市在住の3名の塾員にて東久留米三田会を立ち上げようという話になり、昨年秋口から設立準備を進めております。

市内には約500名弱の塾員がおり、全員に趣旨説明および勧誘の案内を送ったところ、100名強の方の賛同が得られ、4月20日に塾関係者、野崎東久留米市長、奥村西東京三田会会長、高橋東久留米稲門会会長等をご来賓として、東久留米三田会設立総会・懇親会を開催するところまでこぎつけました。
神戸慶應倶楽部とは比べ物にならない小さな三田会であり、また具体的活動内容もこれから走りながら考え、決めていくという状態ではありますが、神戸慶應倶楽部を手本として頑張っていきたいと思っております。また近隣の小平市、清瀬市、東村山市にも三田会がないため、東久留米三田会設立後はこれらの地区でも三田会を設立していく予定です。

東久留米市とは皆さんあまりご縁はないかとは思いますが、お近くにお寄りの際はお声をかけていただければ幸いです。

「ドクハラ」書籍紹介

高田育明(昭51医)

「ドクターハラスメント 許せない!患者を傷つける医師のひと言」
土屋 繁裕著 扶桑社

このような、“ドクターハラスメント”についての書籍を見つけました。
“ドクターハラスメント”“ドクハラ”なかなか含蓄のある言葉です。自分が病人・患者の立場に立ってみると、医師・医療従事者の言葉・態度などに過敏に反応することは確かにあります。無意識に患者さんを傷つけていることもあることでしょう。

“ドクターハラスメント”の概念を十分に認識せずに日常の診療行為を行ってきていた自分に気付きました。この書籍を読んでみて、“ドクターハラスメント”を認識し、十分注意を払いつつ診療・治療を行う必要があることを痛感しました。
“ドクターハラスメント”をなくすのは、医師自身が気づくことがその第一歩と思いました。

医師、医療従事者以外に、いつ病人・患者になるか分からないのが生身の人間ですので、一般の方々にもぜひご一読いただき、“ドクターハラスメント”の認識と理解をいただければ幸いと存じます。

2003年3月号掲載

ジャネーの法則

村上功(昭39工)

初めての道を歩くとき同じ道のりでも行きより帰りの方が短く感じるのはなぜか?
年をとると時間の経過を速く感じるのはなぜか?

フランスのポール・フケスという心理学者は、被験者にパリの街並みの写真を何枚も見せ、この時同じ時間内で見せる写真の枚数を被験者により変えてみると、見た枚数が多い被験者の方が見た枚数の少ない被験者より、時間を長く感じることを観察した。
初めての道は、あちらを見たりこちらを見たりで、たくさんの風景写真を見せられた時と同じような状態だから、時間を長く感じるという。すなわち帰り道は、既に見て知っている風景なので、行きより帰りの方が少ない風景写真を見ていることになり、時間を短く感じるということだ。

これと似たのに「ジャネーの法則」というのがある。フランスの有名な心理学者ジャネーが提唱した「ある人の生涯のある時期における一定時間の心理的長さは、その人のその時までの生涯の長さの逆数に比例する。」という学説だ。
すなわち1歳の子供の1日は30歳の大人の30日分に相当し、逆に言えば30歳の大人が感じる時間の心理的長さは1歳の子供が感じる時間の30分の1ということになる。

1歳の赤ん坊と大人を比較するのは非現実的なので、自分自身物心がついた小学生時代を振り返るとお年玉をもらえる正月までの時間がやたら長かったのを覚えている。10歳と20歳の人間の1日は、それぞれ60歳の人間の6日、3日に相当するという。言い換えれば60歳になると10歳のときの6倍、20歳のときの3倍、時間の経過を速く感じるということだ。
ジャネーさんはその理由を明確に論じていない。

性差があるのか、脳の加齢による機能変化の問題なのか、責任が増し仕事に追われるからか、フケスさんがいうように年をとると世間への関心が薄くなり見ようとする風景写真の数が減ってくるからか、子供のころのようにあらゆることに関心を
持てば一日も一年も、もっと長く感じるというのだろうか。

「少年老いやすく学成り難し」という言葉と相反するのではと思ったが、年をとったら時間の経過
が速いから、時間の経過感の少ない若いうちにしっかり学べというのだとしたら、ジャネーさんの法則と矛盾しないと思っている。自分自身、好奇心、探究心はいまでも旺盛だと思っているが・・・・・・。
「老年折れやすくガクッとなりやすし」とはある著名な指圧師の名言だが、自分も気をつけたい。今回はこの辺で、ジャネー・・・・・・。

私と神戸

遊川悦史(昭31経)

子供の頃豊中に住んでいた。親父と摩耶山へハイキングに行き道に迷い、日が暮れてたどり着いた三宮の阪急の食堂で吐いた。ドイツ映画を三宮に見に行って人ごみに酔って吐いた。六甲の従弟が不発の焼夷弾に当たって死んだ。それやこれやで神戸に余りいい思い出は残っていない。

塾を終えるころ再び関西にそれも神戸に移り住む様になった時、友人は神戸は山あり海あり傾斜しているから一雨降ったら街が洗われる、市電も二人がけで市松模様のリノリュームの床だし、とそのモダンなことを羨ましがった。
新婚時代は舞子の団地、残業して大阪から帰ると二時間近くかかったが駅に降り立つと松林を通る潮風が心地よかった。女房は東京人で関西に知己は誰一人居なかったので当初はとても淋しがったが、風光明媚なことと魚が旨い事等から次第に関西の悪口を言わなくなった。

外貨稼ぎの花形、繊維輸出が仕事で、実績稼ぎに何でもかんでも積んでしまえといわれた時代、大晦日に通関済の貨物を倉庫の隅で現物とこっそりすり替えたときは港の寒風が身にしみた。港といえば勤め人になっても学生気分が抜けず趣味の放送劇作りに七突だったか乙仲の事務所を借りて夜遅く船の汽笛を収録したことも忘れられない。

何度か出入りを繰り返し、どうやら神戸に骨を埋めることになりそうだ。まさかの地震にも生き延びたし、阪神間に住んで今更他所に行きたいとは思わない。そういった覚悟でこの地での交友を深めたいと、このたび初めてルームに顔を出した次第。晩年フランスから誘致したオールド・イングランドの店が目と鼻の先にあるのも何かの因縁であろう。

2003年2月号掲載

サラリ−マン川柳 ご紹介

高田 育明(昭51医)

以前よりサラリーマン川柳の事を聞いたことが
あり、興味を持っていました。
この度友人より「第一生命のホームページ」に掲載されていることを教えていただきました。

第15回「サラリーマン川柳コンクール」
http://event.dai-ichi-life.co.jp/senryu/index2.html

〜私が選ぶサラ川 ベスト100〜(10位まで掲載)
(1)デジカメのエサはなんだと孫に聞く : 浦島太郎          
(2)「窓際」も今や高嶺の激戦区 : 席なし男          
(3)職安で働かせろよ この盛況 : 南馬志良人
(4)国民にしわ寄せよりも幸せを : 太守
(5)社の幹部 裏を返せば社の患部 : 美人OL
(6)へそくりは千と小ぜにの金隠し : とっちゃんのママ
(7)iモード 妻にもほしい愛モード : 独楽    
(8)リストラはないのかモー娘。また増員 : グルグル      
(9)まじっスカ スカがついててていねい語 : さら川小町
(10)リストラも労災ですかと聞く社員 : 柳の舞
     
不況の荒波をもろに受けているサラリーマン諸氏の身につまされるような“サラリーマン川柳”が多い。身近な社会情勢を風刺した川柳がとても現実味を帯びていて興味深い。

起業支援

五代友和(昭37商)

少々カタイ話になりますが、今の日本ひどい状態ですねぇ。
政治も経済も或いは悪質な犯罪の増加、青少年の自分中心の言動、まったく目を覆いたくなります。美しい日本はどこに行ったのでしょう。教育の問題も含めて私達大人がほんとにシッカリせないかんと思います。

経済の面で言えば、今はまさに閉塞状態、金融のこと、デフレのこと等々息苦しい時代です。その経済問題の一つで言えば、今ベンチャーという言葉がよく出て来ます。この「ベンチャー」「起業」をもっともっと支援していかないと、日本の活力は生まれて来ないとも思います。

実は、ある教育財団が、「学生ベンチャー支援」を重要な事業の一つとして、数年来積極的に取り組んでいます。
学生からビジネスプランを応募させて審査し、優秀賞をとれば、月額20万円、一年間で240万円の起業支援をするのです。更に、優秀賞と努力賞の約10名の学生をシリコンバレー視察を含めたアメリカへの研修旅行に案内します。シリコンバレーの近くにあるスタンフォード大学の「ベンチャークラブ」の学生達とディスカッションをしたり、SBA(Small Business Administration)という政府直系の起業支援組織で講義を受けたり、或いは企業視察等、一週間みっちり勉強をし、皆が皆大きな刺激を受けて帰国します。

私は何年もずっとこの研修の引率をしていますが、実感することは日本とアメリカの違いです。要するに、アメリカでは起業しやすくなっているのです。この差が、日本とアメリカの経済活力の差になっているのでしょう。

諸々の規制のこと、エンジェル(投資家)のこと、仮に失敗した時の回りの受けとめ方等、経済システムの違いはあるにせよ、良いところをどんどん吸収して日本でも起業しやすいようにしていくことが早急に取り組むべき大きな課題でしょう。いろんな意味で、我々大人が次の世代のために“しっかりせないかん”と痛切に感じています。

2003年新年号掲載

東京三田倶楽部との交流会

芦原直哉(昭50経)

東京三田倶楽部との交流会が11月22・23日に行われました。
今回は22日に廣野GCで対抗戦を行い、春の雪辱に燃えたもののネット平均89.8対91.4で敢え無く返り討ちにあいました。しかしながら個人戦では廣野のメンバーである森本富夫さんが優勝され一矢を報いました。表彰式と交流会は倶楽部ルームに集まった後、十五番館の2階を借り切って行いました。ご都合でゴルフをされなかった皆さんも加わり大変盛り上がりました。

翌日はオリエンタルGCで連チャンのゴルフで更に盛り上がり、今日も泊まろうかという声まで出ましたが、皆さん神戸を惜しむように夜遅くの新幹線で無事に帰路に着かれました。
来春は3月26日(水)に名門相模CCで対抗戦を行います。三度目の正直で勝ちたいと思いますので奮ってご参加ください。

年末恒例といえば・・・

横田 洋子(昭49文)

そう!「第九」ですね。
神戸慶應倶楽部会員でもある藤岡幸夫氏の指揮・京都市交響楽団・大阪新音フロイデ合唱団の「ベート−ヴェン第九交響曲の夕べ」が12月12日(木)ザ・シンフォニーホールであり行ってきました。

皆様もご存知の様に、ベートーヴェンの平和へのメッセージが込められた第九。正式には“交響曲第9番二短調作品125「合唱付き」”はベートーヴェンが若き日に感動したシラーの詩「歓喜に寄せて」を合唱として取り入れた作品。
藤岡氏のパワフルな指揮に魅入られて、楽団も合唱団も観客も一つになった素晴らしいひと時でした。お聞きしたところによると藤岡氏は風邪で体調を崩され38度の発熱を押しての公演でしたとか・・。そんな事は全く感じられない指揮と、演奏後のさわやかな笑顔に脱帽!

帰路は、暖かな心に冬の風が心地よく、気が付けば♪♪♪♪〜鼻歌まじり。来年もがんばるゾ♪