福澤先生は英国のパブリックスクールを視察し、その機構や運営方法に感銘して、これに「共立学校」という訳語を当てた。この訳を「義塾」の2文字に置き換え、慶應4年4月、年号の慶應を組み合わせて福澤先生が福澤塾を「慶應義塾」と命名した。
 パブリックスクール、そして義塾は個人ではなく、社会の有志が力を合わせて創立、運営する私立学校である。つまり、私学とはいえ、教職員、学生、卒業生など関係者一同の共有物であり、その目的は公共のために尽くすことにある。慶應義塾では、この関係者一同を「社中」と呼ぶ。
 社中という考え方について言及した福澤先生の言葉には次のようなものがある。
 「僕は学校の先生にあらず、生徒は僕の門人にあらず、之を総称して一社中と名付け、僕は社頭の職掌相勤、読書は勿論眠食の世話塵芥の始末まで周旋、其余の社中にも各々其職分あり」(慶應4年4月10日付 山口良蔵氏宛書簡)
 「……今日ハ人ニ学フモ明日ハ又却テ其人ニ教ルコトアリ、故ニ師弟ノ分ヲ定メス教ル者モ学フ者モ概シテコレヲ社中ト唱フルナリ」(明治4年制定『慶應義塾社中之約束』)
 「慶應義塾の今日に至りし由縁は、時運の然らしむるものとは雖ども、之を要するに社中の協力と云はざるを得ず。其協力とは何ぞや。相助くることなり。(中略)命令する者なくして全体の挙動を一にし、奨励する者なくして衆員の喜憂を共にし、一種特別 の気風あればこそ今日までを維持したることなれ」(明治12年1月25日開催「慶應義塾新年発会」記事)
 一方で、福澤先生は『慶應義塾の目的』という文章を遺している。その中で、「慶應義塾は単に一つの学塾にとどまることなく、社会全体の気品の泉源、智徳の模範でなければならない。そして、これを自ら実践することによって全社会の先導者たれ」(要約)と述べている。
 平成11年、神戸慶應倶楽部は創立70周年を迎えた。これを機に、義塾社中の一員として改めて「気品の泉源、智徳の模範」をめざし、福澤先生の期待に応えるべくその活動を一層充実させていく覚悟である。